「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

集団づくりを、算数で考える③

今日は「まちづくり」を算数で考えてみる。

 

って言っても、前回と同じ。中身はあんまし変わらない。前回は私が図の中にいなくて、客観的な集団づくりの図だったけど、今回は、私が点で始まっている。今までのシリーズはこちら↓

 集団づくりを、算数で考える① - 「いまを生きる」勇気

集団づくりを、算数で考える② - 「いまを生きる」勇気

 

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①私がいる

②まちづくりに興味のある仲間と出会う→「なでラボ」結成

③1人1人の人生に触れ、少しづつお互いを知る→studio-Lのワークショップ

④複数のメンバーと絆が深まる

⑤個人の集合体、線の交差が面を織りなしチームとなる

 

愛知県長久手市は、コミュニティデザインstudio-Lさんのサポートがあって、ここまで順調に・・・とまではいかないこともあったけど、その困難さも含め、サポートがなくなった今でも、緩く面を織りなしていると感じている。「なでラボ」の説明は以前のblogを参考に↓

まちづくりにおける“西野亮廣”という調味料① - 「いまを生きる」勇気

 

で、次のステージとしては

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⑥働き盛りのチームとして、面であることを活かす

⑦他の団体の接着面として機能する

⑧団体やグループをつなぐことを役割とする

⑨そのうち、チームとして厚みが出て、個人やチーム・集団を受け止め繋げていく「なでラボ」になるといいな、という個人の展望

 

こんな感じで「なでラボ」に参加しています。いま、やっと⑥の状態で、⑦の認識は統一した見解ではないけど、すでにそんな役割が生じているので、きっとこれからも地域の中で役割を担っていくんじゃないかな。⑧、⑨は完全に私の見解。ま、でも、外れてはない気がする。10年20年先に、それがどうだったか評価されるチームだと思うので、これからが遊びどき!

 

私は正直、「まちのため」とか思っているわけじゃない。いや、もちろん、その側面があるんだけど、自分の欲求を深く見ていくと、まちを利用した壮大な実験なんだと思っている。人と人がつなっがていくこと、チームが成り立つ過程、集団として成長していく様子が、私にとってはものすごく興味深くてドキドキする。今も西野さんを呼んで長久手市でトークライブをする計画を立てているんだけど、それだけで、おもしろい活動をしていると人とどんどん繋がる。話しているだけで、面白いアイデアがどんどん生まれて、それをどう実行しようかとワクワクする。

 

それが、だれかの喜びを喚起させるなら、そんな嬉しいことはない。

 

次回はそのイベントをどうやって、面白くするか?算数で考える。あ、また、同じことなんだけどね。

紙幣というラブレター

西野さんのクラウドファンディングに支援(トークライブ絵本100冊付)してから、周りの方々に、私の支援をしてもらえるように呼びかけた。31万円の口座から、スコーンと30万円を入金したからね。

 

そのことがきっかけで、会う人からは手渡しで、FBで繋がっている人からは口座入金をしてもらった。ただいま15万円、集まっている。なんか、もうね。お金をいただくって、こんなにも温かい行為なんだって、改めて感じてる。

 

「はい、これ、しのぶちゃんの想いを支援するから。」

 

と手渡された瞬間に、身体の真ん中からじんわり温かいものが広がっていくんだ。それを何かに例えるなら、そう!“ラブレター”なんじゃないかって思った。想いに共感する、支援したい、その勇気を讃える、いろんな想いをその紙幣に乗せて、私に贈ってくれる。そのことが、あまりにも嬉しくて。

 

そういえば、私が西野さんに支援した30万円だって、きっとそうだ。熱烈なファンレターなんだと思う。

 

今まで1人よがりの強かった私が仲間を募って何かをしたいと強く思えた時に、西野さんに出会えてよかった。まだ、始まったばかりだけど怖くはないよ。周りに助けてくれる、甘えられる友人がたくさんいるから。でも、とびきり楽しいイベントにしたいんだ。演者と参加者の境目のない1日。

 

あなたが来なくちゃ始まらない、そんなイベントをみんなでつくる。

 

私へのラブレター、まだ受け付けている。

愛の循環をしていこう。一緒に。

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集団づくりを、算数で考える②

お待たせしました。大好評!連載第2弾!

第1弾はこちら↓

 集団づくりを、算数で考える① - 「いまを生きる」勇気

 今日は集団を、私の働いていた《学童保育所》を例に描いてみる。学童保育所とは、保護者が就労などを理由に下校後、保育の必要のある小学生を預かる施設。名古屋市は1〜6年生の子ども達が通っている。

 

一年の中で、どんな風に集団ができて行くのか、算数で見ていく。今回は四月、保育園児・幼稚園児だった一年生がどのように集団に馴染んでいくのかを、図に描いた。

 

四月、旧6年生が中学生に上がり、集団の土台となっていた部分がスコーンとなくなる。その上に、新しい一年生(点)が入ってくる。このとき、繋がりもなく、まだ、点のまま台の上に乗っている感じ。

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一年生だけを見ると、こんな感じ。

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①最初1人(点)で入ってきて、まだ名前も知らない状態

②次第に名前と顔が認識され、他人(他の点)を意識する

③関わりができ始め、ケンカしたり遊んだりしながら絆(線)が生まれる

④一緒の時間をたくさん重ねることで、いろんな子と接点が生まれさらに絆(線)が増える

⑤絆が深まる(線が太くなる)と、チーム(面)となる。

これで、一年生のチームができあがる。

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そして、一年生チーム(面)は、他の学年とも交流を持ちながら馴染んでいく。個人やチームの力も増して厚みが出てきて(立体になってきて)、その年の12月頃には、集団の一部として、しっかり存在感を出している。1年生同士チームを作ってから、他の学年をつながる訳ではなく、日常生活の中では他学年との交流も多い。縦にも横にもつながりを作りながら、ゆっくり馴染んでいく。

 

わかりやすく立方体を用いているが、その年によって出来上がる集団のカタチは様々だ。ひょうたん型、円すい型、富士山型と。だから、おもしろい。子どもの集団は点によって、線によって、面によって、カタチが変わる。学童保育所の目指すカタチは“特にない”ので、毎年できあがった集団をいつも新鮮な目で見ていた。算数で描くと簡単だけど、実際には一本の線1つにいろんなストーリーがある。一個一個、大切な物語。その積み重ねが集団をつくる。

 指導員であった大人は何をするか?って?

基本的には【何もしない】を心がける。なぜなら、大人が集団をコントロールすることは容易で、知らぬ間に目指すカタチを押しつけてしまうことをしてしまうからだ。子ども達もカンが良く、その場にいる大人の意図を汲んでくれる。それを利用して集団をつくることもできる。でも、それをやっていくと、ずーっと大人が問題解決に口を挟まなくいけなくなり、集団の自治を阻む。とはいえ、何にもしないことも難しく、やっぱり、ちょいちょい気は使う。そんな感じ。最低限、“大人の作ったルールや勝手な思いで、面を囲まないこと”はやってきてたかな。

 

あ!簡単に言葉を載せちゃった。

 

『集団の自治を阻む』

 

ここ、結構、重要。チェックペンで赤く線引いて欲しい。集団の自治・・・簡単な言葉にすると『子ども集団の中で、必要なあらゆる判断を子どもたちに任せる』ということ。ここ、ホント大変だし、難しい。けど、1番やりがいのあるコトだったな。

 

 いっぱい子どもたちと向き合って、自分を見つめ続けて、たくさん失敗して、そうして、やっと掴んだこと。“自由な保育”なんて、簡単そうでカッコイイけど、自分を自由にし続けることから逃げられないってこともわかった。

 

結構、深いのだ。

 

さ!次の例は、まちづくり。

集団づくりを、算数で考える①

最近自分の中で、流行っている。

 

集団づくり、もしくはまちづくり・・・「コミュニティ形成」を算数で説明するということ。

あらゆる組織づくり、イベントにだって適応できちゃう。

完成形を立方体とする。つまり、集団がうまくいっている状態を立方体とする。ココでもう意味わかんない人は、ごめん。ちょっと、がんばって読んでみて。 

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上に書いたように、点から始まり、点と点が結び、面となる。そして、その面が6面揃って立方体となる。完成。

 

これを集団づくりに例えると、点は1人の人間。線は繋がり、面はチームを表す。

まずは、1人の人間(点)から始まる。人と人が繋がることで、絆(線)が生まれ人数が増えればチーム(面)になる。そのいいチームが複数存在することで、バランスのいい集団(立方体)ができる、という流れ。

 

ここまで、よいかな?

 

私は長いこと、子どもの集団づくりに関わってきた。いい集団をつくる!なんて、今思えばおこがましいけど、結構頭を悩ませてきた。でも、退職間近には、もう悩んではなかった。なぜなら、集団は“つくるもの”じゃなくて“できていくもの”ということがわかったから。

 

最終的にやることは1つ。点を濃くするってことを大事にしていくだけでいいってこと。つまり、個人の力を最大限に出せるような環境をつくる、ということ。

 

いくら線を、面を、立体をつくろうとしても、点がしっかりしていないと全然結ばれない。逆に、点がしっかりしていれば、自ずと線が生まれて面になることがわかった。そして面が分厚くなったり、他の面とつながることで、“勝手に”立方体になる。

 

これね、あらゆる場面で役に立つ。コミュニティ形成って、実は簡単。誰もが考えないでやってることだと思うんだ。だから、頭を使って集団づくりをしようとした途端、難しくなる。

 

次回は例を出していくよ。

 

 

 

大切な人がくれた、大切な時間

一年前、彼女は身体から離れた。お通夜前日、手を合わせに行った。身体はあったけど、彼女はもういなかった。綺麗な満月の夜だった。

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彼女との付き合いは長く、たぶん、そうだな。18年?くらい。当時シングルマザーで2人の子どもを育てていた彼女は、その後よき出会いがあり結婚し、子どもを授かり、さらに年月は経ち、孫が産まれておばあちゃんにもなった。

 

彼女の病気がわかり、気遣うことが増えて初めて彼女の人生に触れることとなった。苦しい環境の中で子ども時代を過ごしてきたと。

 

彼女がこの世から離れて一年が経った。近しい人たちだけで持ち寄りご飯会。賑やかな一周忌。「笑って過ごしてほしい」と彼女の願いは今もなお守られている。

 

そんな中、10歳から知っている現在二児の母である彼女のムスメと話した。ムスメは闘病中の苦しい母を、家族を、ずっと支えてきた。自分もいつだって崩れてしまいそうになるのをこらえながら。今は、母の代わりに家族に笑顔を振りまき、毎日家事を担っている。ムスメは私にこう言った。

 

「いつも甘いミルクの入ったカフェオレじゃなくて、時々ブラックのコーヒーが飲みたくなる、みたいな。」

 

今の幸せな家庭環境と、母が育ってきた家庭環境をこう表現した。ずっと苦しかったんだろう。母を愛しながら、母の生い立ちを愛せないのは。ずっと恐れていたんだろう。母の苦しみを自分が背負っているような気がして。

 

そうして、言った。

「両方、大事だなって思えたんだ。」

スッキリした、美しい笑顔で。綺麗な満月みたいに。

 

ねぇ。あなたのムスメはすごいね。あなたの苦しみを解き放ってくれたよ。いや、一緒にそれをしたのかもね。だから、安心してね。あなたの家族はあなたの愛情に満ちて生きてる。肉体はなくとも、愛の循環は続いている。すてきなことだね。

 

私は何にもしてやれないけど、何にも必要ないみたい。

 

私のblogを楽しみにしてくれているムスメに捧ぐ

「今日は西野じゃないから(笑)」

 

まちづくりにおける“西野亮廣”という調味料①

どーも、引き続き、「魔法のコンパス」を配る女です。

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私はまちづくりに「西野亮廣」を利用する。

なぜか?を何回かに分けて、綴りたい。

 

まずは私の住むまち、愛知県長久手市のこと。

私は、2年前から若手長久手市職員と40代までの市民でつくられた、まちづくりチーム【なでラボ】に参加している。そのため、いろんな手段でまちに住む人同士をつなげられるか、みんなで考える時間がたくさんあった。そして、おもしろい企画も何回か企画実行し、楽しんでもいた。ただ、2年経ったいま、グループ内(20人ほど)はそこそこ楽しめる仲間づくりができてきたものの、その周りになかなか広がらないのことが大きな悩みだった。それは、決定的にまちづくりチームとしての落第点を意味している。

 

長久手市といえば、住みやすさランキング全国2位を誇り、若い人やファミリー層の多い活気のあるまちだ。この少子化が叫ばれている中、市内のいくつかの小学校舎を増築している。名古屋市豊田市と隣接していることでベットタウンとして、割とゆとりのある世帯が多いのも特徴だ。そんなまちの問題点は、

 

特にない

 

ということが、最もまちの特徴を表している。市民は困り事がないので、煩わしいつながりはどんどん薄れていく。いまから30年前の第2次ベビーブーマーが、つまり私が小学生だったころの日本経済・人口分布がいまの長久手市なのだ。なのでこれから長久手市が取り組まなくてはいけないことは、日本中が高度経済成長期にあぐらを組んで、切り捨ててきたもののをもう一回拾いなおして、時代に合った新しい価値観を築き上げながら、30年後の長久手市がいまの他の自治体のようにならないように暮らすこと。運営していくこと。生きていくこと。それに付随して、問題がないまちの問題は、

 

快適ではあるが幸福感は得にくい…

 

ということ。書いてみて、贅沢な悩みだと思う。でも仕方がない。「魔法のコンパス」に描かれているディズニーランドと似ている。そのあたり、西野さんの説明がわかりやすい。

lineblog.me

 

それが長久手市という、まち。あ、これは完全に私の主観。めっちゃ快適に幸福に暮らしている人はたっくさんいるよ。いや、大半はそうなのかも。

 

ここからは、私のはなし。

知っている人も多いが、私は3年前に名古屋市から隣の長久手市に引越して来た。理由は、

 

市長が好きだから!

 

20年前に小さなボランティア向け講演会で「小さな子が、毎日好きなことをしている。ずーっとカタツムリを見ていても怒られない幼稚園をつくった。」とそのヒトは言った。なんかそれだけでズキューン!と胸を打たれて、当時付き合っている人もいない結婚も考えたことのない私が『子どもが産まれたら、ここのようちえんに通わせる!』と心に誓った。で、本当にその想いは叶い、10年後、長男をめでたく長久手・ゴジカラ村にある「もりのようちえん」に通わせることができた。その時のゴジカラ村設立者が、のちの長久手市長の吉田一平さんだ。その一平さんが市長になったということで、その翌年に「友達と別れるのがイヤだ〜!」と大泣きする長男に「イヤなら1年後にまた(名古屋市に)戻ってくるから。」と訳のわからん約束をして、私たち一家は長久手市民となった。

 

つづく

「魔法のコンパス」(西野亮廣箸)を配る女

どーも、「魔法のコンパス」(西野亮廣箸)を配る女です。

 

西野さんのトークライブ以来、毎日のように西野さんのblog、動画をチェックしております。これは、たぶん“恋”だな💕

 

とにかく彼の念密な作戦、思い切った行動、柔軟な発想力に舌を巻く。もう、ホント尊敬してしまった私は、彼の本をみんなに読んでほしいと強く思ったのだ。ただ、配ったり手売りするのはつまらない。だって、私、そのことについて話したいんだもん。っていうことで、行ったことのないお店に行きたいのと、人に甘える練習をしたいのと、おしゃべりしたい欲求を叶えるために、

『本を差し上げます』

『お話します』

『ご馳走してください』

の3点を掲げて募集をかけたところ、あっという間に10人の申し込みをいただいた。

 

ウッキャー!!!嬉しい✨

 

全部やりたいことを叶えてくれる人がいる。ありがと〜!!!

 

ってことで、すでに3日で3組の方とお会いした。そこで思ったのは、会っている人によって引き出される話が違う、ということ。私自身が相手によって話題を考えているというより、自然にその場に必要な話になる感じ。私も相手の想いを引き出すから、その場の話題は何が出てくるかわからない。でも、不思議とその時にその人もしくは私に必要な言葉が出てくるんだよね。

 

「魔法のコンパス」・・・まさにその本の題名通り。私と相手で話した内容に“今、必要な指針”が現れているように思えて仕方がない。なんかスゴイおもしろい企画なんだ、これ。あ、マネしても訴えませんから、ご自由に(^_^;)

 

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んで、超絶ハイスピードでお金が集まっているクラウドファンディング、おもしろいから目が離せない。リターンの内容がどんどん増えていきそうな気配。もうなんか、社会がどんどん変化していくスピードを目の当たりにしているかのよう。

camp-fire.jp

 

ドキドキしてる?

 

うん!!!