私はずっと、勘違いをしていた。
間違えたくなかったから、自分の中に正解をさがしていた。そうして正解をたくさん積み上げていったら、当然だけど不正解も増えた。正解を積み上げていく作業は楽しかった。不正解を正す仲間もできた。
自分の正解を実証するために、不正解を攻撃したこともあった。でもさ。その勝負は勝ったって、嬉しくなんかなかった。いや、正確には、一瞬嬉しいんだけど、そのあとは全然幸せじゃなかった。何か間違ってる。
正解なのに、間違ってる?
混乱した。
そして、ゼツボーした。
今まで信じてきたこと、みんな、間違ってた?
いや、違う。間違ってたいたんじゃない。
でも、正しいわけじゃない?
そうじゃない。
裁くな。
ジャッジはしないでいい。
正しくないなら、私は何に従って生きればいいの?
そうして、また、ゼツボーする。
ゼツボーしたら、次にくるのは、アキラメ。
何度もゼツボーして、何度もアキラメる。
この作業、辛いわー。
でも、なんか悪くない。
自分だと思っていたものを手放す。自分には何もないと、認める。
私は勘違いをしていた。
ゼツボーしたら、大変だ。這い上がれない。
傷つくことは怖い。もっと孤独になる。
そうじゃなかった。
ゼツボーからのアキラメは脱皮に似ている。
繊細な肌がむき出しのままで、ちょっと怖い。
怖い、怖い、怖いって思いながら生きていく。
傷つきやすくって、他人に好かれたくて、お金が欲しくって、やりたいことしかできなくって、気の短い私を許していく。
いっぱい間違えながら生きていく。
ゼツボーだけが、人生だ。