ただいま、絶賛連載中!
柴田朋子さんの貿易ゲームを全力でオススメするワケ① - 不登校児を育てる。 いや、私が育つ…のか?
柴田朋子さんの貿易ゲームを全力でオススメするワケ② - 不登校児を育てる。 いや、私が育つ…のか?
昨日の柴田さんのblog、好きです。
目の前にいる人に何かを教えようとするとき、その事柄にもよりますが、言葉として知識を教えることより体験を通して自分が主体となり考えてみることの方がずっと“腹に落ちている”という気がします。例えば、うまく泳げる方法を椅子に座って学ぶより、水に入って試行錯誤しながら実践した方がずっと早いように。
大人になって、いろんな講座に出て感じるんです。教えてもらう側になった瞬間に主体性は失われ、導かれるままその時間を過ごすことが多いことを。それがいい、悪いではなく、ただ、つまらないっていう話です。なので、“柴田さん”の貿易ゲームに参加したときは、驚きました。最初は他の方主催の貿易ゲームに参加したのですが、その学びの目的はフェアトレードでした。長くなるのでフェアトレードの説明は省きます。学びの目的がはっきりしていることで、導かれるような時間を過ごしました。その後に2回目の貿易ゲームの講師が柴田さん。その講座は自分が主体となり動きたくなる時間でした。終わったあともずっと心にその体験が留まる時間でした。そのとき湧いた感情を何度も振り返りたくなる時間でした。そのときの学びの目的は自分で決めて、自分で感じて、自分でどう活かしていくのかをたくさん考えました。
blogにあるように、柴田さんは「教えたり」「導いたり」しなければ、「責めたり」「褒めたり」もしません。じゃあ、何をしてくれるの?
自分の中の答えに気づくような『問い』を投げかけてくれます。その『問い』にはジャッジは含みません。ココが、ココが、ホントにプロだな〜、と尊敬するのですが、柴田さんは参加者に対して、
純度の高い鏡として存在しているのです。
どういう意味かと言いますと、講座の講師というのはその場の空気を司る重要な人物だと思っています。その人物の意図を感じた時点で参加者全体の空気がその意図を汲もうとして、自分の感情を歪めてしまう可能性があります。みんながみんな、そうではないかもしれませんし、その一体感が必要な学びを身につけるために大事なことであることも少なくはないのでしょう。しかし、柴田さんの貿易ゲームはちょっと違います。純度の高い鏡は何も言いません。何も意図しません。何も評価しません。
ただ、そのままのあなたの姿を映し出すだけです。
そのままの私?普段から出せてるし。家でなら出せてるし。そう思うかもしれません。ただ、自分の経験から、私だと思っている部分には“思い込み”や“決めつけ”であることも多いと感じます。
あー!!!私の価値観ズレてたー!!!
って思えるときは、重大なことが起きてどうにもならずに苦しんだ挙句、開き直ったあと。病気、転職、結婚、出産、別れなど。
うまくいっているような気がしているときは、なかなか気づけないものです。いっそ、長い旅にでも出ちゃえばいいのかもしれません。いや、長い旅に出た私が主催するのです。これは長久手で起きる2時間の自分を理解する『旅』なのかもしれません。私の表現は大げさかもしれませんが、参加者によってはどんな受け取り方もできる内容であることは言えます。
自分を理解する。
言葉にすると薄っぺらい。でも、そこから目をそらすことはできないのだと感じます。
自分を知りたい。
自然に湧き起こる探究心、あなたはお持ちですか?何かわからないけど、気になる方、どうぞ体験してみてください。