昨日あげた記事が、過去最高のアクセスだった。
キライな人と話して、説教しちゃったけど…結局、自分に返ってくる件 - 「いまを生きる」勇気
私としてはちょっとした自己開示。でもやっぱ、カッコ悪い自分を見せるような気がして躊躇はあった。ところが、“わたし”は“あなた”で、“あなた”は“わたし”で、反応してくれた多くの人の中に、同じような経験・感情があることがわかった。
みなさん、いろんな反応をありがとう!
ずっと、いや今でもそうだけど、たびたび“こじらせる”のは得意で、どうしたって真っ直ぐに自分の感情を見られなかったときがある。
《何かを、誰かを批判していたいという気持ち》
今でもある。前に比べて、ぐっと減った自覚はあるけどね。前は、自覚もなしに自分の正当性ばかりを主張していた。今、考えると、それが何でだったか?わかる気がする。
そう、がんばっていたんだ。
自分を大切に扱えていなかったんだ。
自分のキライに気づかないフリをしていたんだ。
今はだいぶ、緩んできた。仕事をしているしていない、子どもがいるいない、結婚しているしていない、条件なんて関係なかった。
いま、自分が何を感じているか?
だけだった。そんなことは、心理学だろうとコミュニケーションスキルだろうとスピリチャル系だろうと、おんなじことを言ってるよ。使い古されたフレーズ過ぎて、イヤになる。わかっていたはずのことを、何でこじらせていたかっていうとね。
わかってしまった人の結果を、先に頭に入れてしまったから。
・ジャッジはしない
・許す
・感謝する
・ワクワクすることをやる
そこそこできていたし、困ってもいなかったハズなのに『何か違う』っていうことが拭いされなかった。そこで、子宮委員長はるちゃんの言葉との出会いで、『あ〜、そっか。』妙に納得して、行動を変えてみた。
・ジャッジしろよ
・自分を1番に大切にする
・気がすむまで身体を休ませる
・感情の揺れを楽しむ
いろんな思考を一旦、捨てた私は、随分ラクになった。キライな人を「合わない」「苦手」という言葉に逃げないで、ちゃんとキラウ。自分=相手なので、完全なる自己否定。自己否定は苦しいから、自己肯定しよう(相手を理解しよう)と思考が動くけど、そこを拒否して、ちゃんとキラってみる。そして、できれば相手に自分の価値観を押しつける。そこまで失敗しておけば、あとは自分の中に湧き起こってくる愛しさを待つのみ。と、今回の経験から思うのだ。
必死な自己肯定は、自己否定。だったら、しっかり先に自己否定したらいい。
これは、心理学系の本をたくさん読みすぎて、感情をコントロールできるまでになっていた、私の学び。
本を出すような、心の大きな人になりたかったな。
人前で話せるような、かっこいい人生をおくりたかったな。
他人に憧れるような、人格者になりたかったな。
って、表現できた瞬間、どうでもいいコトだと思えてきている自分に驚く。心の狭い、感情的で、自分ばっかりの私が、1番好き。