一昨日は久しぶりに、次男が学校に行った。
「4月から学校に行く?」と私。
「いや、いい。」と次男。
ま、そうだよね。
自分の中で、いろんなこと想いが巡る。
公教育に対しての不満を抱えて、市長に手紙を書いたこともあったし、スクールカウンセラーを困らせてたこともあったな。
「いい教育」を探して、長男は今、そこの学校に行ってるけど、次男は行きたがらない。そこで、私の母親としての“無力感”に襲われる。
何にもしてやれてないんじゃないかって。
でも、そんなことはなくて、いや…。無力でもいいんじゃないか、とすら思うようになってきた。子どもの幸せのために何かをしてやりたい、親として、普通に湧き起こってくる感情だと思う。子どもが困っているなら尚のこと。
ん?困ってる?だれが?
次男が?
私が?
学校が?
ん〜、困ってない…のか?困ってはないな、そーいえば。
外に出て、誰かと関わる場所があったらいいのに。そう思うのは、私自身のこと、なのか。“自分の欲求”と“子どもに必要”だと思うものがこんがらがってる。そもそも、“子どもに必要”なものってナンダ?
新しい時代の新しい命が、自分と違う価値観を生きる、そのことを受け入れていないのは私なのかもしれない。子どもと関わる仕事をして、たくさんの“受容”をしてきたつもりだけど、わが子はそこを越えてくる。それでも、愛さずにはいられない。次男が私の世界を広く、深くしてくれる。
とても興味深い場所まで、連れて行かれるんだ。まだ、この先も。