ぎゃ〜!!!
昨晩、自分のやってきたことに驚いて泣けてきた。
私は同じ母親として、子どもをコントロールしようとする人を軽蔑してきた。そう、私は、子どもを監視して命令して、子どもの心に寄り添えないような親を見ると、心の中で❌をつけていた。
あー、そんな言い方しても通じないのに
ほら、子どもの自信を削いだ
うわ、こりゃ、親の前だけでいい子ぶってるわ
みたいにね。だいたい、子どもは親の付属品でもなけりゃ、装飾品でもないし、ましてや成果物でもない。子どもの人権を尊重しろー!って思ってた。
でも、ふと。
あ、それ、私だ。
って、自覚しちゃった。あー、残念。無念。また来週…だよ。親の願いを押し付けたカタチで習い事をさせていることに、私は反発してた。でも、私もホント、一緒。
親の願いを押し付けたカタチで、自由な学校に行かせてる、わ。
さて、どうする、私?
自分を犠牲にした子育ては、ゆるい虐待だ、そう思う。親が自分の幸せの中で生きていないのに、どうして、子どもはそこを生きることができるんだ?うーん、できる子もいるんだろう。
少なくとも、私は四苦八苦している。
ただ、心の底から、聴こえてくる。
“私を生きて…”