「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

不登校児のいま②

「もう一回、2年生の漢字を始めからやる。」

少し喜びを含むような凛とした次男(6年生)の言葉を聞いて一瞬、どう受け止めてよいかわからなかった。私は心の中に疼く、少しの戸惑いを吹っ切るように返事をした。

「じゃ、2年生の漢字プリント、最初から印刷しておくね。」

 

この6月から、次男はホームスクールを始めた。最初2ヶ月はzoomを通して学習塾の先生のサポートがあったが、ここ1ヶ月は自分で時間を守りプリント学習を進めていた。5年間学校に行かず、私が購入して置いてあった「うんこドリル」も放ったまま、動画鑑賞(って言葉、初めて使った)・ゲームの三昧の生活の次男がどこまでやれるか?わからなかった。

 

結果から言うと、完璧なまでにホームスクールをやりこなしている。時間も自分で守り、コピーの必要があれば自分でやり、できない印刷は母に頼む。月〜金曜日の11:00から30分間。お盆を除いて一日たりとサボらなかった。驚異の継続力だ。

 

6月のひと月で、1年生の漢字をやり終え、7・8月で2年生の漢字を終えた。その時かけた私の言葉は「今日で2年生の漢字おわり!明日から3年生の漢字だね!」すると、口下手な次男から嬉しそうに出た言葉が…

 

「もう一回、2年生の漢字を始めからやる。」

 

焦りも不安もないしっかりとした言葉だ。あぁ、そう、そうだった…。なんで勉強がキライになるのか、私は何度も何度も考えてきたハズだった。勉強自体をキライになるのではない。それに伴う“だれかの評価を気にする”ことや“興味のないことを覚える”こと、“できない自分がイヤになる”ことが苦痛だった。

学びの主体はだれ?

何度も何度も問い続けてきた、その答えを、次男ははっきり示した。なのに、私ったら、その言葉の意味が一瞬、飲み込めなかったのだ。

 

何度もその言葉を反芻して、日を追うごとに私はそれに癒される。その言葉にずっと感動している。もうこの子は大丈夫だ、そう思った。いや、ほんとはずっと大丈夫だったのだろう。私が気づかなかっただけで。

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