Future Fes’25 ファブカフェ名古屋②
あ、説明が前後しちゃったけど、ファブカフェ名古屋の説明はこちら👇
https://fabcafe.com/jp/nagoya/
ここの代表・矢橋さんと出会ったのは、今から3ヶ月ほど前だった。そこで、その場のこと・フューチャーフェスのことを教えてもらい、ぜひ参加したいと、楽しみにしていた。矢橋さんの話すトーンも好きだったし、場のコンセプトが曖昧で流動的な感じがするのに、芯があるように感じられて、興味を持った。
高校生が若手作家の作った瀬戸物を販売する話も事前に聞いていたので、販売している女子高生に絡んで、日常の感じていることなんかを聞いてみた。友達みんなに気を使って疲れる…みたいな話を聞きながら、自分の高校時代が思い出されて、うざいアドバイスを始めていた。
「みんなに好かれたいと思わなくていい。本音を言っても嫌わない友達だけと、仲良くすればいい。」みたいなことを話したと思う。
今回のイベントでは、16年ぶりの再会があって驚いたり、おもしろい取り組みで私の想像を超えた活動をしている人がいたり、社会課題を解決しようと日々奮闘している人の話を聞いたりした。
それで、自分は?と思ったときに、言葉にならない不安を抱えて、なんとかその場にいる状態だった。そういうエネルギッシュな活動や想いの強さに、心から尊敬する気持ちと、もう一方で、光にやられてしまう感覚も生まれた。光が強い分、闇が深くなる、みたいな感覚…わかる?
じゃ、その場に来なきゃいいじゃん、ではなくて、その闇…自分が抱える不安定さと共に、そこに居たかったのだと思う。フェスも終わりかけている時間、この7月に名古屋大学で始まる新しいオープンスペースの話を耳を傾けていた。奥の方で、フェスの締めくくりに入っている様子が伝わってきた。遠巻きに聞こえる感想が、どれもポジティブで、参加者の満足度を伝えるものだった。急にソワソワした私は、そこに参加して手を挙げて、感想を述べた。
「みんなキラキラしてて、うざいなぁと思った。過去の実績とか肩書きが私は聞きたいわけじゃないし、話したいわけじゃない。いまのわたしと、いまのあなたで話がしたいんだ。だから、ファブカフェって、うざいなって思う。」
我ながら、うまくまとめなくて、よかったと思う。これを聞いて笑っている人もいたし、後から話しかけてくれる人もいた。不快に思った人もいたと思う。私的に、空気の読めない発言をした自覚はあり、それを言ったあと、しばらく心臓はバクバクしてた。
それでも伝えたいと思ったのは、場に対する信頼があったし、ネガティブなことをも、私の一部で大切にしたいから。もちろんポジティブな感想もしっかりあった。普段の生活では出会わない人との会話はとても楽しかったし、日々それぞれの場所で課題に向き合っている人たちの活動は、とても美しいものだった。
それも含めての、うざい、である。
なんて未熟の私なんだろ?
まるで中年の反抗期である。それでも、それでも、それを言えたこと、それを言わせてもらえたことに深く、それは深く感謝する。この日のために、コツコツと話し合いを重ね、時間や労力を使って丁寧に場づくりしてきたスタッフに対して、無礼だと思いつつ、小さな違和感をできるだけ、置いてきぼりにしたくないなぁと、私も必死である。なんなら修行である。
嫌われたくないと言っていた女子高生が、その場にいたことも確認した。嫌われることは怖くはない。私が、私の気持ちを“なかったこと”にするこの方が、ずっと怖い。そんなことが伝わったらいいな、なんて欲張りな気持ちが湧く。
私、ほんとに未熟だ…けど、それでいい。
さて、まとめようとすると気持ちがバラバラになりそうなので、ここでやめておく。誰かと出会うことを楽しみに参加したイベントで、ガッツリ私と向き合う時間となったフューチャーフェス2025は、幕を閉じた。

Future Fes’25 ファブカフェ名古屋①
…んー、疲れるなぁ。
という気持ちが湧いた。2日間あるフューチャーフェスの1日目を終えた感想である。父の病院に寄ることになり、まず遅刻。流れも読めずに急に参加した車座で、【🥷前からその場にいたかのように馴染む術】を発動して、なんとか思ったことを発言した。クロージングでは、いろんな人との出会いの場として、ふらふら話し始めるんだけど、何をしている人で、どんなことをしようとしている人か?ということをお互いに自己紹介するのに、すぐに疲れてしまった。その疲れが、連日父の体調を気にかけて溜まった疲労なのか、新しい出会いに対し免疫が落ちた加齢によるものなのか、はたまた別の何かか…わからなかった。
それから2日目、今日は朝から参加して全体の流れに乗ってみよう!と、ワクワクしながら会場に向かう。時間通りに始まらない進行と、野外ではプレーパークの準備が行われていて、私の好きな雰囲気で満ちている。知らない人の方が圧倒的に多い中で、ふいに始まる会話が楽しい。そうそう、こんな感じだ。
大人の遊びをサークル活動として、広場でやっている女性と話した。
「楽しいことで繋がるのもいいけど、苦しいことや悲しいことも、開いて繋がれるといいよね。」
みたいなことを伝えた。
“傷を開く”
最近の私のテーマである。そして、私の価値の押し付けでもある。
終始プログラムがあるものの、参加自由だし、広場の奥にはハンモックもたくさん用意してあって、昼寝だってできる。雨が降りそうで、なんとか降らない昼下がり、私は自由の中で戸惑っていた。
なにをしてもいい
なにもしなくてもいい
そんなフレーズが最高に好きな私が、気力が弱くなっているのか、身の置き方がわからなくなってしまう時間があった。自由というのは、時に残酷だ。自分の意思が弱っているときや、寄りかかりたいときに、自由は助けてはくれない。好きにしたらいい、というフレーズが、自分の居心地を悪くする。1人になりたいわけでもないけど、がっつり話したいわけでもない。なんかのんびりしたいな、とあたりを見回していたら、タープの下、スノーピークの椅子が丸く設置してあるところへ、先程の女性の姿を見つけ、プログラムとは別の車座へ混じる。
大人遊びサークル仲間の中に、1人の男性と私が混ざったようだ。その男性は、カードを持ち出し「よかったら、このカードを使ってお話ししませんか?」と緩やかに提案する。とくに反対する空気もなく、お互いの話をする時間が始まる。その最初に彼がこう話す。
「まずは、いま、どんな気持でここにいるか?を話しましょう。」と言い、1番始めに彼が話し始めた。「他のスタッフが働いてる中、ぼくだけこんな風にして、なにやってんだ、と思われていないか、ちょっとソワソワする。」と。その正直さに私の心もフッと緩んで、2番手の私は「ここ2.3日、父が死にそうで…心配になりながらも、自分は自分の楽しいことを諦めたくなくて、ここにいる。私が楽しんでいることを、父は喜んでくれると思うから。」と言ってる途中から、ボロボロの泣けてきた。さっき偉そうに、若い女性に話していた私が、隣で傷を開いて泣いている…そんな展開になった。若干恥ずかしいと思いつつ、その姿は隠さなくてもいい、とも思った。
そこで話がゆっくり進み、それぞれの『いま』を堪能している横では、プログラム通り『宇宙』『愛』についての対話が進行していた。とても興味深いテーマだったけど、私にとっては『いま』がなにより大事だった。
あ、そーか、そーいうことか!と自分の中で何にモヤモヤしているのか、わかりかけていた。
そのタイミングで、このフェスの感想をボードに描いて、写真を撮らせてください、というスタッフから声がかかった。そのボードに書いた言葉が、フェスのクロージングで私がみんなの前で発表することになる言葉だった。
“キラキラ、うざい!”
→②へ続く
https://shino-bu.hateblo.jp/entry/2025/06/03/235559

小学校を卒業すること
先日小学校へ出向き、小6の娘の担任と教頭先生に会って、お話をしてきた。内容は引き継ぎとして、中学校へどのよう情報を伝えていくか、というものだっが、それが一区切りつくのを待って、私の想いを切り出した。
「以前、(評価なしと斜線のある)通知表は必要ないので受け取らない選択はできるか?とたずねたところ、受け取ってくださいと返事がきて、受け取ってきたが、子どもと私たち家族にとって意味をなさないので、最後の3学期、どうしても通知表は受け取りたくないと思っている。その背景として、私自身の学校教育に対する、こども時代の傷つきがあるのだと思う。そのことで長男を自由な学校へ転校させるという決断をし、下2人の不登校も受け入れてきた。私はきのくに学園の教育に出会って、一条校(文科省に認可されている学校)でも子どもの意思を尊重し、主体的な教育ができることを知って、とても嬉しかった。でも、地元の学校は変わらず、子どもたちを比べて、評価するということをしていた。そこへ自分の子どもを通わせることをしなかったのは、子どもの意思ではなく、私の意思だったのだと思う。現場で先生方もがんばっている。子どもたちもがんばっている。でも不登校は減らない。もはや誰の問題でもなく、システムの問題だと思っている。教育を変えるのは、教師だけでも、保護者だけでも難しく、一緒に考えていかなくてはならないことだと思っているので、子どもが学ぶことを楽しい!と思える教育を望んでいるということを、いち保護者として、要望を伝えたい。私はいま一人だけど、自分の子ども、今まで出会ってきた不登校の親子、それらみんなの声を背負っている。このタイミングで、これを伝えなかったら後悔すると思ってお話した。末っ子の小6の2月、何も言わずに卒業することもできたけど、声をあげなかったら、ゼロになる。いますぐに、何かが変わることは難しいのは知っているが、一つの声として、どうしても届けたかった。」
この話の途中から、担任の先生が涙ぐんでいた。先生のお子さんも不登校だった時期があったとのこと。先生の立場ではなく、同じ親としての立場でお話を聴いてくれていた。教頭先生も終始冷静だったが、「いますぐ、どうこうということは難しいと思いますが、いただいたご意見は共有させていただきます。」と返事があった。
みんな、子どもの健やかな成長を願って、それぞれの役割を果たしている。その力が、その優しさが、その想いが、子どもたちへ届くような仕組みになるといいな、って思う。
誰かを責めずに、自分を卑下せずに、真っ直ぐに自分の要望を伝えることができた。それはきっと、今まで出会ってきた人との中で、
【言いたいこと】と【伝えたいこと】は違う
と気づかされたから。
私の中にあるものを開示できたかな。ほんとは少し怖かったけど、言いたいことが言えたし、受け止めてもらえたと感じたから、とても私は満ちている。
3人目の子育て、小学校をやっと卒業する。
映画「どうすればよかったか?」
一日に2本の映画を観た。
1本目は「小学校〜それは小さな社会」
2本目はコチラ👇
“どうすればよかったか?”
この映画の詳細は公式サイトに任せるとして…
月曜日13:00〜、名古屋市今池にある旧シネマテーク→現ナゴヤキネマ・ノイで観た。ドキュメンタリー映画って、舞台挨拶日以外は、とくに平日の昼間は座席がスカスカの印象があり、前日もネット予約しようかと思いながら、カード決済を避けたくて、当日でいいかと余裕ぶっこいて、上映10分前に受付へ行った。
そこで告げられたのは、まさかの『満席ですが…ザイスでもよろしければ…』と言われ、ん?ザイス?が即座に理解できずに、頭の中でパイプ椅子に変換されて会場入りしたらば!脇に置いてあるパイプ椅子ではなく…
ほんとに、座椅子だった!
普通の家庭にあるような、リクライニング機能付きの、あの座椅子が、1番前の列に並べられている。私は端っこから2番目を指定され、座る。
家じゃん…
危うく靴を脱ぎそうになった。

これはこれでリラックスできる。ゆっくり観よう。で、なんで、この映画が満席なの?とても驚いた。この映画のメインとなる【統合失調症】って、そんなにメジャーだっけ?え?どうゆうこと?と、そんなことを考えようとしていると映画が始まった。
統合失調症の姉…いや家族ごとを長い時間を弟が記録した映画だ。ほんとに長い間…若かった家族は、年相応に老けていき、命が尽きるまでの長い間。病気のことも、両親の態度も、弟であるご本人の気持ちも、ヒリヒリするぐらい伝わってきて、心が落ち着かなかった。
私にも、同じ病気を抱えている身内がいる。
その病気を理解したり、その姿を目の当たりにしたり、家族の調整をしたり、全部がとても苦しくて、自分が壊れてしまいそうに何度かなった過去がある。そのたびに、いまの家族の存在や親しい友人に助けてもらった。自分の中では最善をつくし、やれることは全てやってきたという自負もある。それは、いまだから、そう言えること。そして、私もここに至るまで何度も思った。
どうすればよかったか?
なんならその問いをいつも胸に、この20年くらい生きてきたんじゃないかというくらい、私にとって大きな膿みたいものだった。おそらく、私の子育ては、この問いから始まっている。私が他人より、強く教育への批判や想いを、つい語ってしまうのは、それが大きな要因かもしれない。
どうすればよかったか?
いまは家族や自分と向き合うことや、医療や福祉の仕組みを理解して使いこなすことが、ある程度できていて、家族以外のサポートがある。いつの間にか、この問いを、最近忘れていた…ところに、この映画だった。ラストに近いところで、嗚咽しそうになったけど、隣との距離が近すぎて我慢した。
当たり前すぎて、言葉にするもなんだけど…家族の愛の形はさまざまだ。
弟から見て、父から見て、母から見て、何かが間違っていたように見えるかもしれないし、何も間違ってなんかいないようにも見える。少なくとも、私にはそれぞれが、病気を発症したお姉さんを大切に思ってきたんじゃないかな、と感じた。そこに親のエゴがなかったか?と言われれば、あったかもしれないし、いや、あったと思う。けど、エゴばかりの親になった私が、それを非難できる資格はない。
どうすればよかったか?
の答えはない、し、見つかるはずもないのに、私の中の、その問いは、いまはもう、ない。
ちゃんと逃げたりしながら、やれることをやってきたと思うし、やれないこともあるから諦めることも覚えた。正直、治療が早かろうが遅かろうが、完治する病でもない。どう付き合っていくのか、それにまつわる私の人生をどう生きるのか。
だから問題はずっとあって、でもそれをどうにかしなくてもよいと思えた段階で、問いが消えたのかもしれない。本当になくなることはないのかもしれないけど。また、考えなきゃいけない場面が必ず訪れるんだけど、そのときはそのときだ。
私も家族という固定的な関係性の中で、複雑でグチャグチャな感情を何度も抱いた。だから両親を責めたくなる気持ちもよくわかる。そしてカメラを回す弟の視線と同じように、お姉さんの幸せを祈るような気持ちもよくわかる。
どうすればよかったか?
この映画がどうやら、話題になっているらしい。正直、映像の良し悪しが全然わからないから、映画としての評価がよくわからない。私にとって、それは映像の中の話でもなんでもないから、他の人が映像作品として、なんで観たいと思ったか気になった。どこかのだれかの家庭を興味本位で覗き込んでいるような感想もあるけど、言葉で上手く説明しきれない感情を、ひきずり出されるような感想が多かった。
どうすればよかったか?
私は私だけのことしかわからないけど、もしかしたら、だれしもが抱えている問いなのかもしれない、と思った。全国のミニシアターを埋めるほど、この作品のテーマは、案外ポピュラーなのかもしれない。
帰り道、説明のつかない感情が溢れて止まらなかった。どこかに溜め込んでいた辛さとか、悲しみとか、不安とか、安堵も混じっていたのかもしれない…
歩きながら…地下鉄に乗りながら…買い物をしながら…とめどなく涙として放出されて、家に着く頃にはスッキリしていた。
特におすすめもしないし、語り合いたいとか思ってないけど、あの状態の家族の物語を映像化してくれた監督に、感謝の気持ちを込めて感想をシェアします。これを書きたくないような、でも書かないと気が済まないような。ちゃんと残しておきたいと思った。自分のために。
そう、これまでの私への労いと、これからの私へのエールだ。
不登校児のいま⑧
小1〜中2まで、ほぼ不登校だった次男が、高校に入学した。私は学校を卒業後、自分の興味関心のあるものに対し、初めて勉強が好き!って思えた経験から、おそらく子どもに
「勉強しなさい」
と一度も言ったことはないと思う。次男は学校に行かない時間を、動画やゲームで過ごすこともあったが、小説を読むことに費やしてもいた。いつしか、BOOKOFFに行くと、何冊もの文庫本を手にするようになっていた。ときどき私に買ってほしいと求めるものは、ブックカバーだったりした。
中3になって、毎日学校に行くようになっても、書字が苦手で苦労したと思う。それでも、支援級で先生たちに見守られ、よくがんばっていた。
そして、彼の求めていた全日制で、家計に優しい公立高校(定員割れ)に入学する。人気がないとはいえ説明会では、校長はじめ他の先生方も熱心に生徒と向き合っていると感じた。一緒に聞いていた私は、校長の生徒に対する愛情深さに思わず泣いてしまうほど。
わが家からその高校まで、自転車で1時間弱。雨の日もカッパを着て次男は通学する。5月までの2ヶ月間、休んだ日は2日。放課後の部活にも入り、なんと!運動部…陸上部である。そして、部員が全員で5人。毎日7時前に帰宅する日々。肌の色もすっかり小麦色。
先日、学校へ行く機会があり、クラス担任や学年主任、部活の顧問の先生と話してきた。予想通り、まじめに何事も取り組んでいるらしい。先生方は、不登校歴を入学前から知っていて、どんな子かと思っていたけど、全く問題なくて、と話す。私は思わず…
「学校に行ってなかったおかげで、勉強が好きなんです。」
ケロッと言う。われながらイヤミな言い方。
卒業後の進路が就職も進学も選べる中で、次男は2年生からは、進学のコースを希望するらしい。その選択に全く迷いがないのも、彼らしい。今でも、私は受験のための勉強は必要ないと思ってるし、学校に行くか行かないかは、どっちでもいいと思ってる。ただ、その子が望むことは、できるだけサポートしていきたい。
勉強したいのなら、進学したらいい。大学は、勉強したい子のためにあるのだから。
勉強嫌いの子が集まる学校で、テストの感想を聞くと
「簡単だった。もっとがんばれると思う。」
と答える。高校に入って、最初のテストの成績は、158人中…7位だった。

不登校児のいま⑦
小1〜中2までほぼ不登校だった次男が
本日、中学校を卒業した。
私は久しぶりの式典に、慣れない靴と服、慣れない時間にそわそわしながらの参加。中2までほぼ学校へ行かなかった次男が、高校受験をすると毎日学校へ行き出した中3。ぼちぼち休むこともあったし、がんばって練習した行事明けは、休みが増えたけど、年間どーかな、30日くらいのお休みだったと思う。それだけで、すごいよね。
いくつかの教科でテストも受け、評定も中3になって初めて出た。とても努力したと思う。自分の人生を考えたときに、全日制の高校へ行くことが、彼にとっては目標なんだと思った。
彼が中2のときに、私は伝えた。
「いろんな高校があるから、自分に合わせて行きやすい高校(夜間とか通信とか)にしたらいいよ。」
という、すごく理解ある母親のアドバイスは全く聞き入れず…後に私は、理解ある、なんかじゃなくて、不必要な甘やかしだったと反省する。だし、びっくりするほど私は、彼を理解してなかった。本人が望んでいたのは、今の自分に合う合わないじゃなくて、なんとなく目指す将来像があって、その上でどうしたいか、をちゃんと考えた上での進路だった。
対話が大事と言われる昨今だけど、自分の子と対話ができたな、なんて思うことないし、子どもの気持ちを聴ききれてる気なんか、全然しない。
いつも、私は間違うし
いつも、私はコントロールしたい
私は私の欲望を子どもに押し付ける。それを愛情と見せかけて押し付ける。幸いなことに、思った通りにならなくて、そのときは、んーと考え込むし、なんなら傷ついている。
でも、それは、ほんとに!
“幸いなこと”
友人のお父さんの名言は
「子育てがうまくいってる、と思ってるなら、それはすでに間違ってる。」
何はともあれ、たくさんの人たちの愛情を受けて、大きくなりました。ほんとにおかげさま。
ありがとうございました。

不登校児のいま⑥
本日、次男の高校受験のための三者懇談へ中学校へ向かった。
小1〜中2までほぼ不登校だった次男は、中3になり高校受験を自ら目指して、毎日登校を続けている。今年5月あたりから無職の私は、完全に生活リズムが夜型になり、朝、起きられない。自分で支度をして、朝7:45に「行ってきます」と言う声が聞こえると「行ってらっしゃい」と、気づいたら、返事する…布団の中から。爆睡して起きてないこともあるけど、毎日「行ってきます」って言ってるいるらしい…ごめん。というわけで、私のサポートも全くなく、よくここまで登校できたと、ほんとに尊敬する。
二学期に入り、学校行事をなんとかこなした後、少し休みがちになった。それでも、また持ち直して、学校に通っている。そして高校見学も済ませて、昼間定時制や全日制を見て、第一希望を公立の全日制を選んだ。第二希望は、昼間定時制高校だったが、併願できず全日制に絞った。
3年間見守ってくださった先生と時折り、目頭が熱くなるような懇談をする。成績の話、行事への参加、表彰式での返事一つ、決して優秀ではないのに、感慨深くお話をしてくださる。話も終盤にさしかかり私が母親ぶって、
「高校でやりたいこと、あるの?」
とたずねたらちょっと間を置いて、
「…やりたいことを見つけるために行く。」
と落ち着いた声で話した。また、そこでハッとした。そーいえば、第一志望高校の説明会で、校長先生がそんな話をしていたなぁ…。
「今はやりたいことがなくてもいい。学校に入ってから、見つけてください。」
って。よく覚えてたし、それが心に響いたんだなぁと。
そして長男の話も思い出す。彼は「夢みる小中学校」から公立高校へ進学し、高3のみんなが進路を決める頃、こう言ってた。
「勉強も、仕事もしたくないんだよねー。」
私は内心、驚いた。こんなことをよくも堂々といってくれたなぁ、と。で、反射的に
「私もそーだわ!」
と返事してた笑。で、そのために彼は“勉強”を始めた。なんやかんやあって、今は海外でインターン(といえばかっこいいけど、無償労働)をしている。いつか叶えられる自由な毎日を夢みて。
話が逸れたけど、長男は、“やりたいこと”じゃなくて、“やりたくないこと”を高校生活で見つけた。それも、とっても大事なことだと思う。それは“やりたいこと”を見つけることと同じくらい価値のあること。
だから、次男も何かに出会い、誰かから影響を受けて、経験を重ねて、向かう先が見つかるのだろう。でもそれは、いまはどんな道か、わからない。わからないから、おもしろい。
映画「杜人」でみた水脈が、蛇行している場面が、とても好きだ。私の人生みたい、って思ったんだ。真っ直ぐに目的に辿りつかないけど、あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、軌道修正ばかりの人生を、いま心豊かに過ごしている。
布団の中から、いい感じに、まとめてみた。
