2泊3日のツアー最終日。
朝から瞑想が始まる。参加不参加は特に問われないが、せっかくだからと寝不足のまま参加。瞑想の説明は、ここではしない。経験のある人は、知ってるだろうし、経験のない人に言葉で伝える自信がないからだ。
天外ワークでは、3日間に分けて行うという瞑想を、この1日で行った。瞑想→朝ごはん→瞑想→昼ごはん→瞑想、というスケジュールである。
机に座って、講義を受ける姿勢で始まったが、私の身体がどうにも耐えられず、1番後ろの本棚スペース、畳のところまで行ってあぐらをかいて、瞑想を受けていた。いろんな説明をしているようだけど、全然頭に入ってこない。かと言って眠いわけでもない。
1番自分の気持ちが、ぐわっと湧いたのは、最後の瞑想だった。再び産まれる体験をするんだけど、胎児から産道を通って、この世へ産まれる。その時に、私は大きな声で、泣いた。まさに、赤子のように…。
心の中では、ずーっと「おかーさーん!」と叫び続けていた。それが、誕生後すぐの私の記憶なのかどうかは、わからない。ただ、とめどなく涙が溢れてしかたがなかった。
こんな風に泣くのは、いつぶりだろう?少なくとも、自分が親になってから、腹の底から叫ぶように泣いた記憶はない。何か、とても悲しい気持ちが心を占めて、どうにもできなかった。その時の私は、産後すぐにお母さんと引き離されてしまった赤ちゃんの時の記憶だろうか?とおぼろげに思っていた。
でもそれが、帰宅後になって、どこからその感情が湧いてきたか、明確になる。北海道から帰った私は、久しぶりに自分の布団でぐっすり寝た。朝方、トントントンと階段を昇る足音。私は小学生くらいの女の子で、その足音がお母さんのだとわかる。少し嬉しいような気持ちでお母さんが部屋に来るのを待つ。ここで、目が覚めた。マンションのわが家には、階段はない。私の寝室を覗いていたのは、14歳の娘だった。娘と少し話した後に、私は1人、ふいに涙が止まらなくなる。
実家の母は5年くらい前から、いろんな物事を忘れ始めている。ここ最近は、めっきり寝たきりに近い生活だ。“老いていく”とはそういうこと、自然とそれを受け入れている、つもりだった。でもほんとは、それがすごく悲しくて、寂しかったんだ、って気づいたら、泣けて泣けて仕方がなかった。お母さんの料理が食べたいな、お母さんに心配してもらいたいな、お母さんと出かけたいな、そんな些細な願いが、もう叶わない。
知らないうちに、悲しみを閉じ込めていたんだ、ということに気がつく。母が心穏やかに生きている、ただそれだけで十分なのに、娘としての感情が納得いってなかった。その気持ちを、私がちゃんと見つけて、大事にしてあげなきゃいけなかった。危うく“なかったこと”にしてしまいそうだった。瞑想を経て、その感情が表に出てきたようだ。
喜びを心に溜めて、ときどき思い出して温かい気持ちになるように、いつかの悲しみもまた、心を揺さぶることがある。50歳を過ぎて、器用に生きられるようになっててほしかったけど、そうはいかないらしい。そもそも、感情のコントロールなんて、しなくてもよかったんだ。
伺朗ちゃんと、ゆかいな仲間たちのツアーは、長いようで短い、2泊3日の旅を終えた。
けれど、この旅で抱えた荷物の荷解きは、慌てなくていい。毎日の暮らしの中でゆるりと、ほどかれていくのだろう。






