「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

育児・保育・教育を学びすぎた私

なんとなく生きた心地のない寂しさを抱えた思春期を過ごした私は、20代のころ、結婚願望がなかった。結婚が幸せになるルートと思えなかったから。でも、子どもに関わる仕事に就いて、コミュニケーションも学び始めたころ、変化が生まれた。

 

あ、私、不完全なままでいいんだ。

 

そして、そのまま結婚もしたし、子どもも生まれた。その後も保育の仕事をしていたので、より良い関わりを求めて学び続けていた。それが自分の中で

 

「良い子育て」と「悪い子育て」

 

の線引きをしっかりつけていくことになった。『怒り』について学んで、感情的に子育て・保育することを否定した。感情的に怒っても、子どもは言うことを聞かないばかりか、事態は悪化する、そう理解していた。もちろん、これはある意味、正解。

 

でも。

 

それが、いつの間にか“真綿で首を絞めるように”自分を苦しめていった…

 

自分の突発的に感じる感情に小さな嘘をついて、理性で強引に“いいもの”に変換していくことが、普通になっていた気がする。まあ、仕事ではいいんだけど、自分の子どもに、普通のお母さんよりは多くの子どもと接してきた経験を踏まえて接していくから、余裕だった・・・とは行かず、そんな感じで育児していたから、自分の子どもとなんだか【気持ち悪い距離】があった。

 

保育の仕事を辞めて1年が経つ。

 

今までにない環境の中で、だれのせいにもできないまま、自分の感情と向き合い、感情をまっすぐ出せるようになってきた。感情のリハビリ…かも。

 

今では子どもを感情的にに叱る、条件付きで取引する、脅しで行動を促す、そんなことも頻繁だ。不安な気持ちも泣きたい気持ちも素直に表せるようになってから、いろんな人を許せるようになった。そして、家でゆるんで過ごしているし笑うことも増えた。それまで、ずっと、どこか緊張していたんだと思う。

 

感情的に生きる

 

それが恐かったんだろうな。でも、大丈夫だよ。ちょっとやそっとで、親子の関係は壊れない。お互い、不快な感情をきれいに流すためにぶつかり合うんだ。家族同士だから、それができる。ぶつからないように生きなくていい。未熟さを見せ合うことが、大事なんだと思う今日この頃。

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