人との出会いはおもしろいもので…
なんでも、どんなきっかけでもよかったと思うんだけど、私のことを知らない人に囲まれたくて、大阪まで行って教員多めの飲み会に参加してきた。
主催のあっきーから「楽しそーな写真撮りたいので、楽しそーにして」と言われて撮った写真ね、これ。
すごい沢山の人が集まるとき、気が浮ついて、いろんな人と喋りたくなる衝動を抑えて、目の前にいる人に集中しておしゃべりする。たぶん、70、80人くらいの人が出入りして、ちゃんと喋ったのは5、6人。ほとんどの時間を2人の男性と私の3人で過ごした。
教育の話は、仕事でも地元でも話すからと、敢えて『恋バナ』で盛り上がる3人。それがめちゃくちゃおもしろくって…ナンパの仕方から「すべてはモテるためである」二村ヒトシ著の話まで、果てには“おっぱい”爆弾投下で、ワケもからず、ゲラゲラ笑ってた。
それから、帰る時間も差し迫っていたので、気になる高校生に話しかけて…そしたら、ちょっと聞いたこともない被虐待児で、正直、話聞いて1分で涙が止まらなくて…彼が「でも今は、いろんな人に出会えたから、許してはないけど、母には感謝している。」というから、私の涙腺崩壊して「親が子どもに与える愛より、子どもから親へもらう愛の方が大きいね。」と必死に伝えて帰ってきた。ただ、その言葉がなんの足しにもならんくらいカレは凛としてて、かっこよかった。
それから、帰りのアーバンライナーでblogを綴っているのだけど、出会った人たちのTwitterやblogを読んで、また泣きそうになって。
笑いのセンスや、素直さや、つまんない日常に感謝できる心や、人との出会いを大切に出来ることとか全部、苦しさや悲しみや、孤独や不安が気づかせてくれてるんだなぁ、と。しみじみ思いながら、名古屋駅に向かってる。
感情の『豊かさ』と『脆さ』は、表裏一体で、ギリギリのところをなんとか生きてる人たちと、今日、私は話してきたんだなぁ。そして、私もまた、ギリギリのところで、なんとか楽しく生きていきたくて、ここに来たのかもしれない。
だから、時々、私は“おっぱい”を思い出して、笑う。くだらねーな、とツッコミながら、笑うのだ。