「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

まちづくりにおける“西野亮廣”という調味料①

どーも、引き続き、「魔法のコンパス」を配る女です。

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私はまちづくりに「西野亮廣」を利用する。

なぜか?を何回かに分けて、綴りたい。

 

まずは私の住むまち、愛知県長久手市のこと。

私は、2年前から若手長久手市職員と40代までの市民でつくられた、まちづくりチーム【なでラボ】に参加している。そのため、いろんな手段でまちに住む人同士をつなげられるか、みんなで考える時間がたくさんあった。そして、おもしろい企画も何回か企画実行し、楽しんでもいた。ただ、2年経ったいま、グループ内(20人ほど)はそこそこ楽しめる仲間づくりができてきたものの、その周りになかなか広がらないのことが大きな悩みだった。それは、決定的にまちづくりチームとしての落第点を意味している。

 

長久手市といえば、住みやすさランキング全国2位を誇り、若い人やファミリー層の多い活気のあるまちだ。この少子化が叫ばれている中、市内のいくつかの小学校舎を増築している。名古屋市豊田市と隣接していることでベットタウンとして、割とゆとりのある世帯が多いのも特徴だ。そんなまちの問題点は、

 

特にない

 

ということが、最もまちの特徴を表している。市民は困り事がないので、煩わしいつながりはどんどん薄れていく。いまから30年前の第2次ベビーブーマーが、つまり私が小学生だったころの日本経済・人口分布がいまの長久手市なのだ。なのでこれから長久手市が取り組まなくてはいけないことは、日本中が高度経済成長期にあぐらを組んで、切り捨ててきたもののをもう一回拾いなおして、時代に合った新しい価値観を築き上げながら、30年後の長久手市がいまの他の自治体のようにならないように暮らすこと。運営していくこと。生きていくこと。それに付随して、問題がないまちの問題は、

 

快適ではあるが幸福感は得にくい…

 

ということ。書いてみて、贅沢な悩みだと思う。でも仕方がない。「魔法のコンパス」に描かれているディズニーランドと似ている。そのあたり、西野さんの説明がわかりやすい。

lineblog.me

 

それが長久手市という、まち。あ、これは完全に私の主観。めっちゃ快適に幸福に暮らしている人はたっくさんいるよ。いや、大半はそうなのかも。

 

ここからは、私のはなし。

知っている人も多いが、私は3年前に名古屋市から隣の長久手市に引越して来た。理由は、

 

市長が好きだから!

 

20年前に小さなボランティア向け講演会で「小さな子が、毎日好きなことをしている。ずーっとカタツムリを見ていても怒られない幼稚園をつくった。」とそのヒトは言った。なんかそれだけでズキューン!と胸を打たれて、当時付き合っている人もいない結婚も考えたことのない私が『子どもが産まれたら、ここのようちえんに通わせる!』と心に誓った。で、本当にその想いは叶い、10年後、長男をめでたく長久手・ゴジカラ村にある「もりのようちえん」に通わせることができた。その時のゴジカラ村設立者が、のちの長久手市長の吉田一平さんだ。その一平さんが市長になったということで、その翌年に「友達と別れるのがイヤだ〜!」と大泣きする長男に「イヤなら1年後にまた(名古屋市に)戻ってくるから。」と訳のわからん約束をして、私たち一家は長久手市民となった。

 

つづく