8/20、土曜日に開催する貿易ゲーム。こくちーずには反映されていない参加申込があるので、実は、あと4名のお席です。まだ大丈夫だと思っていた方、今日明日中にお申込みをお願いします。
さて、貿易ゲーム開催まであと2日。今回参加の方にはもちろん、参加できなかった方には、次回、参加したくなるようなお話を。
前回、こんな記事を書きました。
柴田朋子さんの貿易ゲームを全力でオススメするワケ③ - 不登校児を育てる。 いや、私が育つ…のか?
柴田さんは純度の高い鏡だと。
どうしてそれが、人生に必要か?ってことをお伝えします。
私たちの暮らしは常にジャッジの世界で満ちています。例えば、手作りご飯が子どもにとってよい、仕事に遅刻してはいけない、宿題は必ずやっていかなくてはいけない、お母さんは体調が悪くてもご飯を用意しなくてはいけない、子どもに夫婦ケンカを見せてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、感情的に怒ってはいけない、悪いことをしたら「ごめんなさい」と言わなくてはいけない、困っている人は助けるべきだ…など。
一見、あまりにも普通に思えることに実は
“生きにくさ”
が潜んでいる気がします。常識に当てはめて「正しい」「間違っている」の判断をしているときに、どーしても“自分はどう感じているか?どうしたいか?”を見失ってしまうのです。いや〜、私、随分と見失っていました・・・から、わかるのです。自分の常識が見ている世界を狭めていたって。狭めるだけならまだしも、狭い世界を正当化するために何かを攻撃していましたからタチが悪い。自分の中に天使と悪魔、友人を味方と敵に分けていたんです。黒と白の間でどちらが正解か、いつも迷っていました。
そこに鏡があったなら・・・
自分の思い込みを、客観視できるのです。一旦「正しい」「間違っている」を横に置いて、そういう自分を正面から観ることができるのです。しかも、覚悟ができている分だけ受け取れるというスペシャルな状況で。自分の天使と悪魔を観ることがができたなら、そこが仲違いするのではなく、どうしたら歩み寄れるか考えることが出来ます。
そこにジャッジがないことが、まっすぐ自分を観る上で大事な要点となります。自分の中に天使と悪魔がいることを否定したら、もしくは否定されたら、もっと苦しくなります。なので、鏡はただ、その姿を見せるだけ。自分の現在地を正確に把握するには、ジャッジのない鏡が必要だと思います。その上で、自分でこの状況をどうするか、どうしたいか考え行動すればいいのです。
普段からできてるって?
でもね、日常生活でジャッジのなく自分を観ることはとっても難しいの。周りの声はもちろんだけど、知らないうちに自分が自分を批評していることが多いから。そうして、シンプルな答えを見逃してしまうんです。って全部、私の話…。
しくじりまくった私のオススメする柴田さんの貿易ゲーム。しくじることは、案外悪くない。そこから何かを掴みとれるから。たった2時間、ゲームをやる中で自分を真っ直ぐ観る機会があるなんて、とてもラッキーです。
たかがゲーム、されどゲーム。あなたの人生のお役に立てることが出来たなら、こんなに嬉しいことはありません。残席わずかになってきました。あなたにお会いできることを楽しみにしています。