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「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

子育てしない子育て論

久しぶりに小さな子どもを育てるお母さんに、自分の子育てを話した。

 

「いろいろ勉強したし、講座やセミナーに行ったけど、結局、自分の子どもが自分の思い通りに育つ、という思い込みを手放すことだけが、大事だった。」

 

と話していた。12歳、8歳、4歳のまだまだ子育て真っ最中の私だが、今のところの結論。じゃ、その思い込みをどうしたら手放せる?

 

いっぱい、自分に絶望することなんじゃないか…

 

というのが、今もところの方法。仕事で接した子ども、自分の子ども、子どもとしての自分にたくさん向き合ってきた、今のところの結論と方法。

 

自分のために生きるられるほど、人間は強くない…と言ったのは、三島由紀夫だったか…?

 

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執着

昨日、実家の両親と話してから、大きな気づきがあったので、書き残す。

 

私は子どもに対して、【執着】があった。

『こんな子に育って欲しい』

と。なので、とことん執着してみた。長男なんかは、かなり私の望む教育の道を歩んでいる。次男はその理想をぶっ壊してくれたもんだから、かなり落ち込んだし、迷ったし、今でも何がいいのか、わからない。それでも、一緒に旅に出たり、とことん不登校を受けいれてみたり、模索は続く。おかげで、執着を少しづつ手離している。

 

この【執着】はどこから湧いてくるんだろう?

 

ってことが、両親と話していて、ふと理解した。

 

親への執着=子どもへの執着

 

ただシンプルに“愛の確認作業”なんだけど、10代で目立った反抗期(親に迷惑をかけること)がなかった私は30代から今まで反抗期が続いていたような気がする。それを抱えたまま子育てするもんだから、子どもに対しての欲求が抑えられない。自分はすごく寛容な母であるというアピールがひどい(笑)こうすれば、いい子育て、いい母、いい子なんだみたいな理想のおしつけ。

 

未熟な母でいいのに。

 

自分の母にも、理想をおしつけて“そんな子育てしたから、私の苦しみがなくならないんだ”という甘え・・・理不尽だ。で、やっと、そこから解放できた感覚。だいぶ、迷惑をかけてきたし、だいぶ、愛されて生きてきた。それを自覚する。

 

そして、こう思う。

 

親への執着=過去の執着

子どもへの執着=未来の執着

 

それが、すとんって理解できた。私はただ、“幸せ”になりたかった。“幸せ”が何かをわからずに、その“幸せ”に執着していた気がする。で、やっと執着することも気が済んで、手離すことになる。

 

一個ずつ、感謝しながら。

自分を守ってきた【執着】に、ありがとうって言いながら。

 

もう幸せであっても、そうでなくてもいい、って思う。《生きている》それだけで、よかったんだ。

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不登校児の母、稼ぐ!

さてはて、大事なお知らせです。

 

【子どもの不登校】と【母の幸福度】は、なんの関係もありません。

 

というわけで、母の私は『自由に稼ぐこと』を選択します。

 

子育ての悩みは尽きない。教育もなかなか変わらない。育児の正解はないことを頭で理解していても、不正解を探し続けてしまう。保育してたって、トラブルの原因を見つけ、対処したくなる。

 

私たちは、みんな、そう《不安》なんだ。

 

私が不登校の息子を見て、感じていたモヤモヤを追求して行くと、ある時、わかった。

 

“お前だけ、好きなことして生きててズルイ”

 

今でも、チクっとする痛みと共に蘇ってくる。『あ、私、やばいわ。』って、思って退職や旅行を考えた。

 

つまり、子どもの行動は、もしかしたら親の欲求を叶えてくれている可能性があるってこと。だから、親である私が、とっとと自分の欲求を叶えてあげれば、子どもは自分の欲求を叶えるために生きるよってこと。いや、わが子が自分の欲求を叶えてることを、許せるんだ。

 

というわけで、私は自分のために稼ぎます宣言!

長男は私立の自由な学校に通い、次男は公立の学校に行かない。末っ子は保育園に登園中。なんの資格もない、不登校児の親が稼げることって、ある?散々、子どもへの心配に自分の不安を投影してきた私。

 

あなたの投影も見えるよ。ウソ、見えやしない。

 

投影は飽きるまで、した方がいい。飽きたら、次の扉が勝手に開く。それが飽きるまでを付き合うことはできる。頭で考えなくていい。感情をまっすぐ、素直に吐き出すだけ。怖い、怖いって言いながら、自分と向き合うだけ。不安を排除しなくていい。不安は不安のまま、そばにいてくれたらいい。不安を1人ぼっちにしたら、とても大きくなるんだ。でも、とっても大切な感情。幸福感はそこからくるのだと思うし。

 

私を通して、自分を探ってください。何にもない私だから、受け流せる。パイプのように受け流せる。それだけで、あなたは自分を見つけていく。その姿がもう、見える。お金を、エネルギーを、不安を流してみてね。怖い怖いって言いながら。

 

こういうの、なんて言うの?カウンセリング?せっしょん?いや、そんなのどーでもいいわ。 

《対話メール》

1ヶ月メールし放題(メッセンジャーかラインも🆗)

30,000円

shino-bu☆i.softbank.jp

(☆は@に変えて)

 

私はあなた、あなたは私…。

 

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本日、登校…私が。

不登校次男が3年生になって、初めて学校に行った。あ、母の私が。

 

担任の先生に挨拶。中年の男性で、気さくなベテランらしい落ち着きで対応してくださり、安心してわが子の状況をお話しできた。これまでの先生にも、ママ友にも、不登校であることを非難されたことはない。ほとんど付き合いがないから、わからないだけかもしれないけど、気にかけてくれる友人は、みな、一緒に見守ってくれる。ありがたいこと。

 

担任の先生もさっぱりしているけど、温かい。必要なら支えてくれる、必要ないなら見守ってくれる、そんな判断をしている様子が伝わってくる。教科書をもらい帰路に着く。

 

私は子どもの頃、他人と違うことが嫌で“普通”の振る舞いができるように、努めてたな。でも、20代では、“普通”の私が自分を見失っていたから、必死で『私』を取り戻そうとしていた。その反動で、親になってから、公教育が自己肯定感を阻む危険な教育だと、正義を振りかぶって話していたこともあった。

 

でも、今はなんか、こう。

そう、どっちでもよくて。わが子が学校に行こうが、優等生であろうが、不登校であろうが、身長高かろうが、運動オンチだろうが、もうなんでもいい。

 

子どもにまつわる不安なんて、子どもが原因であることなんてなくて、いつも不安は私の中で生み出されることがわかったから。だから、ジッと自分を観る、感じる、待つ…それだけのこと。

 

親が、子どもの不登校で悩むのは、学校行ってたって悩むんだぜ。

 

世界のバランスをとるように、わが子がゆるりと生きる。世界が、大人が、壊れないように優しく生きる。

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本日、入学式。

長男の学校、「かつやま子どもの村小中学校」の入学式。

中学生になった長男他、小さな身体のかわいい小学1年生もいる。かわいいな。

 

年々入学式で登場する新入生が、増えている。こんな学校の必要性が、世の中にどんどん広がっているように思う。

 

学園長・堀さんの言葉

「ここは自分の頭で考えて、自分で決める学校です。だから、みんなしっかり頭を使って考えてください。大人のみなさんも、考えてください。」

 

だから、大変なこともあるかもしれないけど、やっぱり、大事。

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ここの学校に、家族全員で行く行事は年3回くらい。あと3年間、お世話になるけど10回も行かないんだ。毎回行くと、不登校次男に顔を合わせて、挨拶してくれる長男の元担任の大人。信頼できる大人に預けたいのと、この学校との繋がりを持っていたい私のエゴで、「ねーねー、一回、体験宿泊しておいでよ〜。」と次男に言葉をかける。

 

昨日の感謝の言葉は、何処へやら。こちらの都合を押しつけてみたって、そうそう心変わりしない次男の芯の強さを再確認。

 

私は「いい教育」に憧れて、ここに出会っているけど、きっと合わない子もいる。選択できるといいのにって、思うこともなくはないのだけど、選択できる不自由も知っている。いや、次男はすでに“家にいたい”という選択をし続けているんだけども。

 

家にいる、公教育を選ぶ、違う学校に行く、フリースクールに行く、別の居場所をつくる、私と次男と、妥協点はいつか見つかるのだろうか。

 

このままでいい

このままではいやだ

 

そういう自分の中で、妥協点は見つかりそうもない。

今日から新学期!?

お昼頃、学校の先生から連絡があった。

そこで、あ、今日から3年生だ!と気づく私。

 

丁寧に挨拶していただき、後日面談で今後の方針を決めて行きましょう、と新しい担任の先生。そして、次男に伝える。

「1日も学校行かないうちに、今日から3年生でーす!」

一緒にいた長男も次男と一緒にふふっと笑い合う。

毎日、うちにいることが当たり前になり過ぎて、学校に行かない選択自体を問題だとは心から思っていない。

 

え?おまえ、不登校だっだんだ。スッゲーな。

 

って、“帰国子女”並みの響きで今後、持ちネタになったらいいな。そんなことを思う母である。気がすむまで、ココにいればいい。あなたに必要なものは全部、あなたの中にあるのだから。だし、いつでも望めば、何にでもどれだけでも繋がれる。

 

私は、学習を教わらない子どもの成長を、しかと見届ける。

 

毎日、声が聞こえる。笑ってる。ご飯ペロリと食べる。そんなささやかな毎日でいい。ありがとう。

 

私は私を生きる。あなたはあなたを生きる…それだけ。

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ゆるい虐待

ぎゃ〜!!!

 

昨晩、自分のやってきたことに驚いて泣けてきた。

 

私は同じ母親として、子どもをコントロールしようとする人を軽蔑してきた。そう、私は、子どもを監視して命令して、子どもの心に寄り添えないような親を見ると、心の中で❌をつけていた。

 

あー、そんな言い方しても通じないのに

ほら、子どもの自信を削いだ

うわ、こりゃ、親の前だけでいい子ぶってるわ

 

みたいにね。だいたい、子どもは親の付属品でもなけりゃ、装飾品でもないし、ましてや成果物でもない。子どもの人権を尊重しろー!って思ってた。

 

でも、ふと。

 

あ、それ、私だ。

 

って、自覚しちゃった。あー、残念。無念。また来週…だよ。親の願いを押し付けたカタチで習い事をさせていることに、私は反発してた。でも、私もホント、一緒。

 

親の願いを押し付けたカタチで、自由な学校に行かせてる、わ。

 

さて、どうする、私?

自分を犠牲にした子育ては、ゆるい虐待だ、そう思う。親が自分の幸せの中で生きていないのに、どうして、子どもはそこを生きることができるんだ?うーん、できる子もいるんだろう。

 

少なくとも、私は四苦八苦している。

ただ、心の底から、聴こえてくる。

 

“私を生きて…”

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