「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

不登校児のいま⑦

小1〜中2までほぼ不登校だった次男が

 

本日、中学校を卒業した。

 

私は久しぶりの式典に、慣れない靴と服、慣れない時間にそわそわしながらの参加。中2までほぼ学校へ行かなかった次男が、高校受験をすると毎日学校へ行き出した中3。ぼちぼち休むこともあったし、がんばって練習した行事明けは、休みが増えたけど、年間どーかな、30日くらいのお休みだったと思う。それだけで、すごいよね。

 

いくつかの教科でテストも受け、評定も中3になって初めて出た。とても努力したと思う。自分の人生を考えたときに、全日制の高校へ行くことが、彼にとっては目標なんだと思った。

 

彼が中2のときに、私は伝えた。

「いろんな高校があるから、自分に合わせて行きやすい高校(夜間とか通信とか)にしたらいいよ。」

という、すごく理解ある母親のアドバイスは全く聞き入れず…後に私は、理解ある、なんかじゃなくて、不必要な甘やかしだったと反省する。だし、びっくりするほど私は、彼を理解してなかった。本人が望んでいたのは、今の自分に合う合わないじゃなくて、なんとなく目指す将来像があって、その上でどうしたいか、をちゃんと考えた上での進路だった。

 

対話が大事と言われる昨今だけど、自分の子と対話ができたな、なんて思うことないし、子どもの気持ちを聴ききれてる気なんか、全然しない。

 

いつも、私は間違うし

いつも、私はコントロールしたい

 

私は私の欲望を子どもに押し付ける。それを愛情と見せかけて押し付ける。幸いなことに、思った通りにならなくて、そのときは、んーと考え込むし、なんなら傷ついている。

 

でも、それは、ほんとに!

“幸いなこと”

 

友人のお父さんの名言は

「子育てがうまくいってる、と思ってるなら、それはすでに間違ってる。」

 

何はともあれ、たくさんの人たちの愛情を受けて、大きくなりました。ほんとにおかげさま。

ありがとうございました。

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不登校児のいま⑥

本日、次男の高校受験のための三者懇談へ中学校へ向かった。

 

小1〜中2までほぼ不登校だった次男は、中3になり高校受験を自ら目指して、毎日登校を続けている。今年5月あたりから無職の私は、完全に生活リズムが夜型になり、朝、起きられない。自分で支度をして、朝7:45に「行ってきます」と言う声が聞こえると「行ってらっしゃい」と、気づいたら、返事する…布団の中から。爆睡して起きてないこともあるけど、毎日「行ってきます」って言ってるいるらしい…ごめん。というわけで、私のサポートも全くなく、よくここまで登校できたと、ほんとに尊敬する。

 

二学期に入り、学校行事をなんとかこなした後、少し休みがちになった。それでも、また持ち直して、学校に通っている。そして高校見学も済ませて、昼間定時制や全日制を見て、第一希望を公立の全日制を選んだ。第二希望は、昼間定時制高校だったが、併願できず全日制に絞った。

 

3年間見守ってくださった先生と時折り、目頭が熱くなるような懇談をする。成績の話、行事への参加、表彰式での返事一つ、決して優秀ではないのに、感慨深くお話をしてくださる。話も終盤にさしかかり私が母親ぶって、

「高校でやりたいこと、あるの?」

とたずねたらちょっと間を置いて、

「…やりたいことを見つけるために行く。」

と落ち着いた声で話した。また、そこでハッとした。そーいえば、第一志望高校の説明会で、校長先生がそんな話をしていたなぁ…。

「今はやりたいことがなくてもいい。学校に入ってから、見つけてください。」

って。よく覚えてたし、それが心に響いたんだなぁと。

 

そして長男の話も思い出す。彼は「夢みる小中学校」から公立高校へ進学し、高3のみんなが進路を決める頃、こう言ってた。

「勉強も、仕事もしたくないんだよねー。」

私は内心、驚いた。こんなことをよくも堂々といってくれたなぁ、と。で、反射的に

「私もそーだわ!」

と返事してた笑。で、そのために彼は“勉強”を始めた。なんやかんやあって、今は海外でインターン(といえばかっこいいけど、無償労働)をしている。いつか叶えられる自由な毎日を夢みて。

 

話が逸れたけど、長男は、“やりたいこと”じゃなくて、“やりたくないこと”を高校生活で見つけた。それも、とっても大事なことだと思う。それは“やりたいこと”を見つけることと同じくらい価値のあること。

 

だから、次男も何かに出会い、誰かから影響を受けて、経験を重ねて、向かう先が見つかるのだろう。でもそれは、いまはどんな道か、わからない。わからないから、おもしろい。

 

映画「杜人」でみた水脈が、蛇行している場面が、とても好きだ。私の人生みたい、って思ったんだ。真っ直ぐに目的に辿りつかないけど、あっちでぶつかり、こっちでぶつかり、軌道修正ばかりの人生を、いま心豊かに過ごしている。

 

布団の中から、いい感じに、まとめてみた。

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不登校児のいま⑤

中3になり、毎日登校の次男。ときより「今日、休んでいい?」と月一くらいのペースで言ってくる。私は無条件で「うん、連絡しとく」と返事する。

 

先日、体育祭&文化祭の行事が2日連続であった。小1の夏から不登校だったから、中3にして初めての行事参加。私も見に行ったけど、コロナの影響で、時間は短かったし、合唱もマスクしたままの子が多かった。とはいえ、集団行動はなかなか大変だろうな、と思って見てたけど、友達と普通に会話していた姿に、なんか感動した。

 

その夜、「日曜日に打ち上げ?に行くから、昼ごはんいらない」と言いに来た。私は、上がるテンションに気をつけながら「え、どこ行くの?昼ごはん代、出すよ。」と答えた。

 

昼ごはんの後、カラオケも行くんだって。その会話のあと、1人の時間に私はホロリと泣いていた。

 

あぁ、そーか。学校は行かなくてもいいし、友達だっていなくてもいい、と思っていたけど、“友達いなくていい”という部分は強がりだったんだなぁと気づく。学校に行き始めて、私が願っていたのは、友達ができますように…だったんだ!と、ハッキリとわかった。

 

私のテンションは、やっぱり上がって「お兄ちゃんの服、着ていいって言ってたね。何、着ていくの?」なんて、話しかけちゃう。カラオケも兄弟で何回か行ってたし、歌も上手くはないけど歌えるし、よかったなぁなんて、普通に喜んでる。

 

引きこもり生活が長かったからか、生まれ持っての性格か、次男は自分の気持ちに芯があり、正直に伝えられるから、友達関係の心配はしていない。器用ではないが、信頼できる人だ。

 

不登校を脱して半年。学校へ行く行かない、勉強ができるできない、そのあたりは、やっぱり、どっちでもいいと思っている。けど、自分の意志で向かう場所を決める。それを実行する。そこで出会った人と友達になる。

 

友達ができる…

 

簡単ではないけど、コミニティに所属することで自然発生することに感動する。学校でもそうじゃなくても、いい。子育ての理想なんて、捨てまくってきたと思っていたけど、ここは根強く握りしめていた“私のこだわり”なんだと思う。

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不登校児のいま④

今日は長男も末っ子も不在で、静かな夜。珍しく次男が1人と私と夫での、夜ごはん。

「みんないないから、夜散歩でもいく?」

と提案すると、夫ものってきた。が…次男は

「行かない。勉強あるし。」

 

小1から中2まで、ほぼ不登校だった次男。高校受験をめざして、中3の4月からは、1日も休まず登校した。その様子をついでに聞いていく。

私「学校、大変じゃない?」

次男「大変だったけど、だいぶ慣れた」

私「なんの教科が楽しい?」

次男「楽しい…はないけど、辛くもない」

私「(保育園時代の)知ってる友達いる?」

次男「わかんない」 

私「友達になんで学校来てなかったの?って言われたら、なんて答える?」

次男「ゆるされてたから」

私「…」

夫「親に不登校を許されてから?行かなかったってこと?」

次男「うん」

私「!!!」

なかなかの衝撃が走りました!学校に行かないことを許されてたから、行かなかった…の発言に。そうだよな、そうだろうな。なんにも間違ってないのに、なんだ、このショーゲキは!いつも次男の言葉は、核心を突いてくるのに私は一瞬、飲み込めない。ほかの子どもにはない感覚なんだよな、これ。

 

その後もいろんな会話をしました。

高校に行きたいのは、年収の高いだろう総合職に就きたいから。だから大学も行く、と。

総合職…

ちなみに私達夫婦の職業にも、それぞれの(次男にとっては)祖父母にも総合職の人はいません。正直、総合職の定義すらわかっていません。どっから出てきたんだ…まぁYouTubeでしょうけど。

 

そして、私はまだ、その言葉を飲み込めていない

不登校の理由は、“許されてたから”】

をもう少し噛み砕いて消化したいと思います。しばらく、頭をぐるぐるすると思う。私、普通の人よりも不登校の相談を受けて来た人数は多いと思うんですが、不登校の理由に

“許されてたから“

という言葉を聞いたことがありません。そういえば、親側の話を聞くことが多くて、子ども側からしてみたら、そーいうことなのか!と妙に納得したりして。そして、これ以上にシンプルで、核心を突く言葉を私は知りません。なんというか、わが子ながら、あっぱれな言葉の使い方。そして、許されなかったら…いまごろ…(想像がつかん!)

 

許すこと

許さないこと

 

どちらも親の愛なんだと思う。

いや、エゴなのか…

 

不登校児のいま③

私の騒々しい選挙の裏側で…

 

小1〜中2まで、ほぼ不登校だった次男の話。中2の学年は放課後に週一学校に行き、30分勉強をして帰ってきてました。そろそろ中学3年生か…高校も見据えて、準備万端の私はあらゆる高校の形態を調べ、本人にあった学校を選べるようにと、情報の収集に努めていました。もちろん進学しないパターンも心の準備として考えて。

 

彼のために、多様な選択肢の座談会をしたくらい、私は熱心でした。そして、すべての情報を手渡したのちに、彼が選択したのは…

「普通の学校を受験したい」

つまり、全日制の高校を一般受験をすると。

 

私はそれを飲み込めず…

 

毎日通わなくてもいい、夜からでもいい、3年を超えてもいい、いろんなパターンで説明するも、彼の意思は変わらず。

「なんで、普通の高校に行きたいの?」

と問うと

「普通に就職したいから」

あぁ、またハンマーで頭を打たれた衝撃🫨

 

ならば、そーだ。週5日学校に通う練習からだってことになり、私の慌しさは、モノともせずに淡々と中3の4月から週5で学校に通い始めました。そして今週、私に伝えたのは

「修学旅行って、行ってもいい?」

でした。これまた、驚き‼️理由を聞くと

「友達に誘われたから」

というので、名前をたずねると

「わかんない」

 

普段は支援級にいて、時々行く交流学級で会うとその子と喋るようで、そのことが彼にとっては、よかったのか?でも名前知らないって😂

 

なにはともあれ、私の人生最大の賭け…じゃない…挑戦!をしているときに、彼は自分の意思を育んで、それを実行していたのです。学校に行かせたいわけではないけど、むしろその逆だけど、本人が選択したことを全力で応援する!

 

朝、私が起きれなくて、自分で準備して出ていく次男ですが…尊敬しか、ない。

🔻応援してる図

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「夢みる小学校」上映会@長久手市⑤

上映会を終えて、1週間、さらに振り返り…

 

この上映会は、個人名で主催しましたが、企画段階から長久手仲間に助けてもらっていました。もちろん当日も、スタッフとして動いてくれる人たちがたくさんいて、成り立っていました。その一人一人もまた、個性的で自分の足で人生を歩んでいる人ばかりなので、私が指示することより、それぞれの考えで行動してくれることが多かったです。私はみんなに、とても助けられていました。

 

“自分で考えて動く“

 

そのことが難しいことや、できないときもあるけれど、あの教育を受けたらできる、あの教育を受けなかったからできない、のではないと感じています。

あ、なんか、うまくまとめようとしてるけど、全然、良い言葉が浮かばないので、トークライブ前日に、卒業生の1人から私宛てにきたDMを掲載します。

 

“すごく個人的に感じているモヤモヤなんだけど、「きのくの子」みたいな大きな主語で子どもたちとか卒業生が語られることに、とても違和感があるんだよね。映画の中で辻さんも「きのくにの子は問いが立てれる」って言ってたけど、もちろん問いを立てれるのが得意じゃない子(それを言語化するのが難しい子)もいるし、逆に、与えられた問いに対して自分なりのプロセスで答えを出す子もいたりして。

なんか、僕たちはこの映画を通して、子どもたちの多様性とか、価値判断できないような各自の能力、みたいなものを実感するはずなのに、個性的な学校であるからこそ「個性的な子どもであるべき」みたいな風潮が、映画を観てくれた人とかにも内在してる気がしてる。
だからこそ、僕は「きのくにの代表」という感じで登壇したくないなって気持ちがあるんだ〜。

だからといって、今回のイベントでそういう扱われ方をしてるわけじゃないから、何か要望があるわけじゃないんだけど、とりあえず言ってみた!”

〜きのくに学園代表じゃない久保はるかより〜

 

これ以上に、付け加える言葉が見つかりません。終わっていいですか?

 

不完全なままで生きていくことを、楽しんだり、受け入れたり、助け合ったり、寄り添ったり、ときに放置したりしながら、毎日を過ごす。そんな特別なことじゃない気がしてきた映画上映会でした。

 

特別だけど、特別じゃない場所へ…

 

最後になりましたが、こちらのイベントに参加して一緒に時間を作ってくださったみなさま、ありがとうございました。登壇してくださったスピーカーのみなさま、おかげさまで一人一人の心に届く、すてきな時間になりました。ありがとうございました。そして、いつもそばで助けてくれる長久手仲間&もり母のみなさま、私の家族のみんな、巻き込まれてくれてありがとう。まだまだ楽しいことがしたいです。これからも、よろしくね。

 

佐藤しのぶ

 

 

 

 

 

「夢みる小学校」上映会@長久手市④

卒業生とのトークライブの内容は…

だいぶ忘れちゃったのですが、会場からの質問にこんな風に答えていました。

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◇質問

「いじわるな質問かもしれないけど、嫌なことはありましたか?」

◆卒業生

「…嫌なことは…変えていけるから…」

「中学生になると夜にミーティングがあるんだけど、長くて眠いから、なくしたいと言った。でも変えられなくて、高校になってから『きのくに学園』の原則にミーティングがあると知って、なくせない大切なことだと理解した」

◇質問

「大人とは、どんな存在?」

◆卒業生

「やりたいと言ったことを、一緒に考えて行動してくれる人」

「相談にのってくれる人、自分が相談しなくても気にかけてくれる人、人生の先輩…かな?」

◇質問

「学校がワクワクするためには、何が必要か?」

◆卒業生

「普通の学校にはおやつがないから、あったらいい」

「大人が思うワクワクと子どもの感じるワクワクは違うこともある」

「劇を作り上げたあとカーテンコールのときに、とても達成感があった」

◇質問

「あなたたちは、とても大人びて見えるけど、きのくに学園を卒業して出会う同級生が幼く見えたりしない?」

◆卒業生

「(高校で出会った)みんなは、ちゃんとしてるな、ってむしろ思った」

「その人のいないところで、その人のことを言うから、なんで本人に言わないのかな、と思うことはある」

「比べることがないから、わからない。でも、ぼくは子どもっぽい大人にいっぱい出会ってきたから、ぼくもそーいう大人になりたいと思っている」

そのほか卒業生の印象的な言葉🔻

「この映画はホームビデオみたいだと思っている。家族で動画を撮る時、楽しいときしか撮らないでしょ」

「全部の学校が、きのくにみたいになればいいとは思わない。合う子も合わない子もいるから。いろんな学校があればいい」

 

トークライブは、感想のシェアタイムのときに、卒業生は壇上から降りて客席へ混じり、直接話してもらいました。そのことで、疑問や質問もすぐに話せたと思います。また、初対面であっても垣根なく、誰とでも話し始めるその姿もまた、観てる人や話している人たちの心を温めていました。

 

会場からの質問タイムでは、司会者の配慮で、卒業生の中で話したい人が自分のタイミングで答える形式でした。みんなが全部を答えたわけではないし、話したいと思った子がマイクをとって自分の言葉で話し出す、という時間でした。

 

その一語一句がなかなか深く、もしくはユニークで、ずーっと会場が有機的(使い方が合ってるか、わからん)な雰囲気でした。そう、不思議と何かを作り出しているような一体感があった!っていう感じです。

 

時間通りにトークライブが終わったあとも、会場に残り、卒業生たちと話し込んでいる姿があちらこちらに。

 

あぁ伝わったかなー、あの空気感。動画も撮ってないし、記録も残してないけど、やっぱりリアルは超えないので、しかたなし。

 

そして、もう少し、振り返りを。

⑤に続く

https://shino-bu.hateblo.jp/entry/2023/02/25/000154