「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

久しぶりの教育を語る場

ここ3年間くらい、教育を語る場から距離を置いていた。ずっと、自分に潜り込みたくて、自分を探求していくことに時間を費やしていた。

 

結果、自分の好きなことや興味のあることを潰してみて、続くことや変化することや、すぐに飽きることなどが少しずつ、わかってきた。何より、自分はそれをほんとに欲しているか?の問いを持ち続けて、そのほとんどが『ウソ』だったんだと気づけたことは、とてもしんどくて大きなことだった。

 

でも、今、自分に向けてる厳しい(もしくは甘い)視点での物の考えを、見直したくて、ここへ出向いた。

 

#エデュシーク

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結論として、行ってよかったし、緩やかだけど教育現場は変わっていくだろうとも思った。そして対等感のある人の話は、一方的でも決して相手の思考を妨げない、相手に対する最大の配慮をするんだなぁとLITALICOのアッキーの話を聴きながら感心してた。だし、オープンにしづらい話をカミングアウトできるような場になったことも、ステキだった。でも、私自身の抱えている問題の解決にはならなくて、ヤキモキしたのも正直なとこ。

 

ん?ワタシのカカエテルモンダイ?

 

あー、そー、そこね。私が問題を抱える自由がある。抱えない選択肢もある。あ、私、そんなに抱えてないや。不登校の子どもを育てるのも3回目に突入した。そろそろ“不登校の母”としてプロを名乗ってもいいんじゃないかと思うくらい、自分と対峙してきた。

 

それでも、毎日、吹っ切れているわけではなく…

 

その枠組みのない、縦横無尽な気持ちを説明しようとしても仕切れない。むしろ、言葉にすると間違っちゃうから、やめておく。

 

ただ一つ、思うことは、誰も悪くない。たぶん。誰かのせいにしたくなるし、犯人がいなけりゃ組織のせいにしたくなる。最終的には、『そういう時代』だからで、まとめるのは私の十八番だ。

 

誰も悪くない?

 

いや、ほんとは少しずつ、みんな悪いのかもしれない。そう思って、私は私のやりたいことに夢中になってみる。教育を語るより、誰かを批判するより、犯人を探すより、1番遠いところに、私の知りたいことがあるような気がしてならない。知りたいことが、なんなのかもわからないのだけど…

 

当面のワタシのホットワードは、

「やれそうなことを、やらない勇気」

初めての哲学対話

先週の10/5(土)に、哲学対話に参加してきました。主催者のかなこのブログは👇

https://ameblo.jp/aisiruko/entry-12534448752.html

自分だけの感想を述べると、モヤモヤしたし、イライラもしたかなぁ…。なにが?どこで?と問われると、答えられるけど、まとめて文章にするのが難しい。から、まとめず、書き出す。

 

まず、お題が「セックスに良い、悪いはあるの?」だった。簡単に答えを出してしまうなら、答えは「ない」のだし、もっと丁寧に答えるのなら「その人の受け止め方によるから、時と場合による」となる。じゃ、その答えは特に“セックス ”だけのとこじゃなくて、例えばそれが、“勉強”とか“アイスクリーム”とか、なんなら“だんご虫”でも同じかもしれない。

 

どれだけ“自分の体験に基づいた話じゃなくてもいい”とはいえど、「性」をテーマに扱うことは、常識や時代背景、それぞれの人生を背負ってプライベートな話や偏見かもしれない意見を出し合わなくてはいけない。なかなか、口を開くのも労力がいる。そして終着点もないし、答えを出す目的もないから、フラフラと風に揺られて舞い上がる風船のような話し合いだった。

 

なんで、私がモヤイラしてたかというと、たぶん、話したいことを我慢してたからだと思う。以下自己内対話👇

 

なぜ、我慢してたの?

「みんなのペースと自分のペースが違うから」

だと、なぜ言いたいことを我慢しなくてはいけなかったの?

「待たないといけないと思ったから」

なぜ?

「なんでだろ…」

 

終わっちゃったな。

私は、話したいことを我慢していたので、途中、サークルの中から離れて傍観者となっていた。話したいのに話せないことが結構、ストレスだった。自分のペースで思った通りに話せていたら、楽だったんだろうか?

 

んー、わからない。

 

とにかく私は我慢してた…手だけがチョコレートを口に運ぶのに忙しかった。おかげで翌日、体内の脂質が顔から一週間ほど吐き出し続けた。ドロドロとした体内の我慢を少しずつ吐き出そうとするみたいに…。

 

あ!そーだ!

私は『自分が傷ついてしまうような、もしくはだれかを傷つけてしまうような刺激的な対話がしたかった』んだ。が、今のところの結論。でも、そんな覚悟、自分が持ってなかった…。自分をさらけ出すなんて、いつだってできたはずだなのに、しなかったのは自分だから。

 

これが、全てではないから、考え続ける。それも含めて、全部、哲学対話なのだろう。

 

あっ、うっかり、キレイにまとめちゃった…

 

 

 

私の愛知トリエンナーレ

 

10/8(火)になって、初めてトリエンナーレ作品に触れる。しかも自分で見つけてきたのではなく、AV監督の二村ヒトシさんが同じAV監督仲間の作品だから、すごく観たかった!けど、東京に帰らなきゃいけないから、観られないと残念そうにしていた…という理由で観てきた。

 

映像作品

「A  DAY  IN  THE  AICHI」

カンパニー松尾監督

 

シネマスコーレで4時間半にも渡る長編…というか、インタビューを軸にしたドキュメンタリー。いろんな人の「愛知って、どんなところ?」を聞きまわる。とはいえ、愛知に関係ない話がモリモリあって、そこがおもしろい。インタビューされた人も、なかなか興味深い。

「人生フルーツ」の監督

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“よくインタビューで、こういう作品撮ると、自分の生活に変化があるんじゃないか?と聞かれるが、それはできなくて、人生コンビニです。”

 

「森、道、市場」の主宰者

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“1回目開催で地元から参加者から、たくさんのお叱りを受けたけど、気にしなかったんです。”

 

高嶺格さん

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“作品の意図とか聞かれるのが、怖い…いんで。”

 

あとは、ライブハウス「TOKUZO」の人、東海テレビの「さよなら、テレビ」を制作した人、AV女優、漫画家…普通の人もたくさん登場してる。生きにくいと悩む若者と監督のお母さんは、なかなかのキーマン。

 

意外と、猫好きにはたまらないかも。

 

愛知トリエンナーレ

『情の時代』

いろんな物議を醸し出しているが、話題にならない作品だからこそ、観てみるのも、いいね。

 

二村ヒトシさんとの二日間

終わっちゃった。あぁ。

 

夢のような二日間でしたよ。憧れの二村さんはとてもキュートな男性でした。

 

改めて対話講演会に参加してくださったみなさま、ありがとうごさいました。突然の理由で来れなかった方、気にしてくださった方も含め、多くの方に支えていただきました。

 

当日もまさに、参加者一人一人の想いが糸のようの紡がれて美しい一枚の布を織り成したような時間になりました。

 

あぁ、そこで私は1人、深く後悔をしているのです。

 

「私ももっとぶっちゃけたかった…」

 

主催者という仮面をつけて、それを理由に勝手に遠慮していた自分にダメ出し…

 

と、思ったんだけど、さ。あ!違うわ。私、二村さん(初対面)をナンパした読書会で、独占して一対一でぶっちゃけてたわ。

 

なーんだ。勝手に拗ねるとこだった。

(思考癖をただいま改造中)

 

私の役割は、“二村さんを知らない人に二村さんと出会ってもらうこと”。なかなかいい架け橋になれたと思うんだ。

 

かなことしのぶ

 

性格も役割も違う2人。でも、苦手なことは似通ってて。途中でケンカになるかと思ったけど、ならなくて。かなこを大好きなままで、イベントをやりきり、より深く大事に思えたのは大きな収穫。

 

そして、続々届く感想にゾクゾクしちゃうほど感動して、泣きそうになる。

 

いっぱい、いっぱい、ありがと。

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講演会主催の気持ち

ついこの間、初めて話す人に講演会主催履歴について自慢してたら、こう聞かれた。

 

「講演会って、どうやってやるんですか?」

 

饒舌な私がうっかり黙って、軽くパニックになる。むむむ、どうやって?考えたこともなかった!だって、呼ぶ人はそれぞれ出会い方が違うし、規模・場所・金額・立場もまちまちだから、えーと、そのつまり、何にも考えずに“やる”って決めちゃった…(^_^;)

 

今回もそう。自分の好きな本に出会って、そして画策してその人と出会えるチャンスを狙い、直接話せるタイミングで、踏み込む。あれ?ナンパと一緒だな。もはや、狩り。しかも、その後のスケジュール(会場探し、料金設定、ゲストとのやりとり、告知の仕方)だってデートを計画するようなもん。それを公開してるだけ。

 

あ、だから、楽しいんだ!だから、緊張するんだ。

 

あとは自分の中にある承認欲求を最大限に爆発させる。「ねーね、こんなすごい人いるの。私連れてきたよ。すごいでしょ。ね!」みたいな。幼稚だな、わたし。

 

たぶん、幼いころ見つけた綺麗な石とか、大事にしていたぬいぐるみを友達に見せたい気持ちと変わらない。

 

でも、自分の“お気に入りがステキ”だって、根拠のない自信がある。周りは、それにノッてくれたり、スルーしてくれたり、見守ってくれたり…。振り返ると恥ずかしくなるくらい、前しか見えてない。

 

周りのみなさま。夢中になりすぎちゃう私をいつも受け止めてくれて、ありがとう。

 

今回は初めて、友人との共催。密に相談しながら進める。なんて安心なんでしょう。このイベントも告知し始めたばかり。おかげさまで、ぼちぼち申込みをもらっている。

 

どうか、みんなの想いが紡がれて心豊かな時間になりますように、と願う気持ち。深く深く、心に残るような言葉を探していきたいな。みんなで。

 

一人一人の悩みが当日のカギとなります。悩んでるあなたそのままで、お越しください。怖がりながら、扉を一緒に開けられますように。

 

なんて、かっこいいことばかりではなく、どんだけの人が来てくれるか、ドキドキだし。案内送ってスルーされると、あれ?嫌われたかな?とか思っちゃうし。普通に、怖いよ。

 

なのに、なんで、やるのかね?わたし。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSft2qgOOlNb3mtBKxsWBWbHdBxNdZwvM0TgaUDQOddTG4Md0w/viewform

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これだ!これをわたしが、「わたし」に伝えたいんだ。

「こじらせてても、めんどくさくても、大丈夫。」

 

相棒、乗り換えました

いつかそういう日が来る

そう、おぼろげに考えていた。

 

今までの相棒とは、長男次男長女の3人と共に生きてきた。私も全身全霊で子どもたちの成長を心から願い、こいつは相棒としてなくてはならない存在だと切に感じていた。雨でもレインコートを被り、風が強い冬は子どもに一枚ショールをかけ、その足で職場に向かう。帰りには買い物でいっぱいのカゴ。とても重い、そして安定した自転車だった。

 

末娘が小学校に上がり、手がからなくなった。私は家で行ってらっしゃいと、笑顔で送り出すだけの母となった。

 

さて、私は私のために生きますか…

 

私の ペースで、私の行きたい道を、私だけのために。

 

というわけで、長男が0歳児から約15年間、風の日も暑い日も、ものすごい寒い日も、保育園へ職場へ、共に過ごしてきた相棒を乗り換えます!

 

私の新しい相棒、よろしくぅ。

 

こいつと毎日13キロの職場まで、往復しまーす。とても軽くて、なにより楽しい。まだ2日間しか乗ってないけど。

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卒業式と「やっかみ」と…母のわたし

わが子は、福井県にある自由な学校「かつやま子どもの村小中学校」に通っている。先日、その卒業を祝う会が無事に終わった。

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それはそれは、毎年だけど、ホントに素敵なの。

 

でも、今回はその学校のことじゃなくて、そこに子どもを託した母たちの、いや、私自身のハナシ。

 

この学校は、毎年学園長が言うように「自分で考え、みんなで話し合い、それを実行する学校です。」とても自由だけど、その結果も全部自分に返ってくる。えーっと、何が言いたいかと言うと、親にも間接的にそういう生き方を突きつけられるワケで…これが思った以上に、ね、ほら、大変なんです。

 

自由を求めて?だれとも比較されずに自分らしく?大人も子どもも対等に?

 

これね、本当にそーいう世界を見せられると、いまここに抱いている私の不幸感は、だれのせいにもできない…っていうコトが起きるんです。これが思った以上に受け入れられなくて…(;´д`)

 

そこで出てきたキーワード

“やっかみ”

卒業式の前日に宿泊した母仲間から、「私は〇〇さんのこと、やっかんでるって気づいたの」という話を聞いて、すごくビックリしたのと自分の中にある“やっかみ”に気づいて、ザワザワした。“やっかみ”は「嫉妬」とか、良く言えば「憧れ」という表現になるかもしれないけど、「やっかんでるから、〇〇さんと会いたくない!」と告白した彼女がとても素直でかわいいと感じて…。

 

で、早速、私の中の「やっかみ」に思い立って、昔からの母友3人を目の前に「私、それぞれにやっかんでるの。」っていう告白を実行。3人それぞれに、私にはないものを持っていて、羨ましく感じてたのよねぇ。

 

なんかほれ、ホント私、他人と比べない教育を求めていながら、自分は他人と比較して落ち込んでいる、というしょーもない思考癖があった…という恥ずかしいハナシ。

 

告白後、その中の1人の友人は「1人1人違うんだから、そんなこと思わなくていい」と力説。そのとおり。でも、私はそれを相手に伝えることで、ちゃんとやっかめた!気がして、すっきりしたんだ。

 

みっともないけど、それもまた、わたし。

 

子どもは学校で学び、私は人生で学ぶ。それでいい。子どもを自由な学校に入れて、まさか、自分にブーメラン返ってくるなんて、ね。授業料が安く感じるわ。

 

卒業生と同じ熱量で「堀さん(学園長)、この学校をつくってくれて、ありがとう。」