「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

「夢みる小学校」上映会@長久手市③

そして、最後の回のトークライブは…

《きのくに学園卒業生の声》と題して、リアルな学校生活や今どうしてるか、など聞いてみよう!の企画をしました。息子はじめ、親しい子や近くの卒業生に声をかけたところ、山梨、和歌山、東京からも駆けつけてくれることになり、6人の登壇者が決まりました。

交通費出せないよ、大丈夫?と私の心配をよそに、距離感がフツーじゃない感じで、快く引き受けてくれたあたり、おもしろかったです。しかも年代が少しバラけてて、高校生、大学生、社会人と揃い、バラエティに富んだメンバーとなりました。

 

トークライブの司会は、別の長久手イベントで出会った志高い若者(おばちゃんくさい言い方!あ、おばちゃんだった…)・赤木さんに頼みました。教員経験があり教育に関して、とても真摯向き合っている方と感じました。

 

はじめまして、の司会者と登壇者だと緊張するかと思い、登壇前の時間は食事をしながらの打ち合わせタイムを設けました。私はその場にいなかったので、わかりませんが「なんとかなるでしょ」みたいな感じで終わったみたいです。

 

卒業生に会えるということで、映画を観たことがある方もこの回に来てくれていました。80席はほぼ満席でした。

 

そしてトークライブは、赤木さんの安定感のある声から始まり、卒業生の自己紹介→会場との感想シェアタイム→卒業生への質問タイムと、終始和やかなムードで、心豊かな時間をみんなで共有しました。

 

あの空気感を…居なかった人へどう伝えていいかわからないのですが、6人の卒業生があまりにもナチュラルに話す姿に、なんとも言えぬ感情が湧き起こったのは私だけではないと思います。安心感みたいな、その佇まいだけで嬉しくなるような…親の欲目かもしれませんが、飾らず気負わず“そのままの自分でいる”という姿勢に、あの学校の理念が子どもたちをどう育てたか、の証明をしていたかのようでした。

④へ続く

https://shino-bu.hateblo.jp/entry/2023/02/24/233109

「夢みる小学校」上映会@長久手市②

1年前にこの映画を観てから、自主上映するまで、実は、少し気持ちが下がっていました。なぜなら、きのくに学園の卒業生が話していた「結局、家庭環境じゃないかなぁ…」という言葉がずっと心に残っていたのと、あれは良いところだけを写しているから現実味がない、という意見もあったりで。

 

そんな中でも、やっぱり上映したい気持ちは、時よりうずうずして、どうせやるなら、私らしい上映会を!と思い、4回上映のうち最初の回と最後の回にゲストを呼ぶ企画を立てました。

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最初の回は“学校に行かない選択をしている子”へ向けて《中学以降の選択肢を考える》と題して、一般の進路指導にはのってこない進学または進路について話してもらえるよう、その保護者や学生に登壇してもらい、選んだきっかけや学校の様子や近況などを話していただきました。

通信制にも公立や私立があり、高卒認定と高校卒業資格の違い、定時制の昼間と夜間、そもそも高校へ行くのか?社会に出る準備か?とか、いろいろな視点で登壇者からお話しをしてもらうことで、中学卒業その先のことを幅広く考えることができました。また学校関係者の方々からのメッセージで、数多くある通信制の中でも特色があることや想いなどを、聞くことができました。さらに学校に行かない選択をしている子たちへ、サポートしている団体の紹介もできたので、そこから繋がりも生まれていく感じがしました。

立場の違いはあれど、みんなが子どものために力を注いで、よりよい成長をサポートする仲間であることに変わりなく、温かい雰囲気で時間を過ごしました。以下参加者の声が届き、とてもわかりやすく、表現してくださっていたので、ご本人の許可をいただき掲載します。

 

トークライブありがとうございました。自分なりに調べていては得られないこともたくさんあり、良かったです。長くなってしまったのですが、以下感想です↓

【保護者+学生さんのお話】
学校の多様性はもちろん、どうしてその選択にいたったのか、というポイントがみなさんそれぞれで興味深く思いました。進路を選択する時点で、明確にやりたいこと(やりたい時間の使い方)がある場合も、そこまでではない場合も、選んだ軸があるように思いました。自分の時代と全く違って、実に多様で意識を変えないといけないということを改めて感じましたし、多様な自由もある一方、進路選択で自分と昔よりも向き合う必要がでてくると思うので、そのなかでいろいろ考えて選びとってる今の世代はすごいなと思いました。

【学校+サポート校】
たくさんありすぎて、逆に自分の家から通いやすい地域の情報が見つけにくかったので、知らない学校も紹介してくださり助かりました。
学校それぞれ特色があることもよくわかりました。また、サポート校は塾との連携もあると知りました。どんな方が携わっているかもわかり、見学や問い合わせをするハードルがかなり下がりました。

【団体】
いろいろな団体が出て来つつあるものの、ファーストコンタクトは躊躇してしまう部分もあるので、主催者とつながりのある団体を紹介してくださることで、身近に感じられてとても良かったです。

【その他】
帰宅してから息子にもこんな学校があったし、こんな話があったよ、という話をしました。
これまでも少し話はしていましたが、具体的なエピソードやパンフレットを紹介できたことで、中学校までのイメージとは少し違う学校があることや使いたい時間の使い方に合わせて進路を選んでいること、などがもう一歩イメージできたようでした。
通っている中学校の担任の先生も多様な進路のお話しを時々してくださるので、保護者としておおまかな知識を得れたことも、今後話をしていくうえで有益だと思いました。ありがとうございました。”

③へ続く

https://shino-bu.hateblo.jp/entry/2023/02/24/001037

 

「夢みる小学校」上映会@長久手市①

『私はもっと、大人を信用したかったし、もっと信頼されたかったなぁ…』

ちょうど1年前、この映画を鑑賞しました。初めて観たときに湧き起こった気持ちです。私は、きのくに学園系列【かつやま子どもの村小中学校】へ子どもを通わせた保護者です。映画「夢みる小学校」卒業のシーンで「あぁ、泣くはずじゃなかったんだけどなぁ」と顔を覆っていた男の子の母です。

 

息子は小学4年生から中学校3年生まで、寮生活をしつつ、6年間を福井県勝山市にある学校で過ごしました。月曜日の朝6時に家を出て、金曜日の夜9:30に帰宅する生活でした。

 

寂しくなかったか?と聞かれれば、寂しかったと答えますが、それ以上にわが子が、そこへ楽しく向かっている姿がとても頼もしく、親としてもそれは嬉しいことだったので、寂しさも最初の半年くらいで、その後はあまり気にならなくなりました。

 

長男が3歳の頃から、自由な保育「もりのようちえん」に通わせていたこともあり、子ども気持ちが解放されて、自由でいられることを私自身が望み、そこへと辿り着きました。

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長男が転校後、小1だった次男の地元公立小学校の不登校。私は、きのくに学園の教育観と公教育観の間で、苦しい時間を過ごしました。

ちょっといろいろ、省略して。

 

とにかく、名古屋市内で2022年2月に上映したこの映画を、自分の住んでいる地域(長久手市)のみんなで観たくて、上映会を企画したのです。とはいえ、めちゃくちゃいいでしょ!という気持ちではなく、この映画を観ることを“きっかけ”として、地域でやれることを、それぞれの立場で考えたい、が目的でした。

 

なので、宣伝に公開SNSは使用せず、個人へのDM、口コミ、中日ホームニュース、ローカルラジオ、各共生ステーション、長久手市役所、学校などに足を運んで、できるだけ対面で伝え回りました。会場規模は定員80人。やや少なめ。人を呼び過ぎてもだめだし、ガラガラ過ぎても寂しい。そんな絶妙な人数を上回ることなく、下回りすぎることもなく、4回の上映ができたことは、ちょっとした自慢です。

②へ続く

https://shino-bu.hateblo.jp/entry/2023/02/23/232523

 

とっくの昔に公教育に見切りをつけたお母さんが、泣いた話

高3の長男が公教育を離れたのは、今から8年前のこと。映画「夢みる小学校」で有名なきのくに学園へ転校した。子どもの姿を「ありのまま」受け止めてくれる教育に感動しっぱなしで、これが当たり前の、教育の場であってほしいと強く願った。

 

それから、自分の住んでいる地域の市長に、次男の通う校長に、直談判しに行ったり、周りの不登校の保護者とつながったり、次男・長女が学校を行かない選択をしたり、私の職場がフリースクールに変わったり…いろんなことがあった。

 

そのたび、私は“公教育を諦める”という選択をしてきたように思う。熱意を持って話しても、伝わらない変わらない、そんなことが続いたように思った。次男の引きこもり不登校を沢山の人が気にかけて見守り、時には手を貸してくれたことに感謝しかないが、学校教育自体が変化したと感じたことはなかった。

 

コロナ騒動をきっかけに、体感的にも実態としても、学校へ行かない選択をしている子どもたちは増えている。

 

“いつまで、見て見ぬふりをするんだろ?子どもを観る仕事の人たちが、それでいいと思ってるんだろうか?だとしたら、ほんと、日本おわってる”

 

など、いつでもどこででも悪態をつけるほど、不満は溜まっていた。にもかかわらず、怒り続けるエネルギーもなく、諦めるという消極的な方法で、私は折り合いをつけていた。

 

で、小学校1年生から6年生まで、ほとんど学校に行かなかった次男は、中学校へ行き、支援級から再スタートをはかった。担任の先生に恵まれてはいたものの、最初は週に1、2日休みつつ通い、徐々に休みは増えて、一年経ったころには、また引きこもり不登校へ戻っていた。まぁ、想定内ではあった。

 

今日、2年生になって、初めて中学校へ顔を出した。新しい支援級の先生と会い、また改めて今後の学校との関わりを決めたのち、なんと!

 

【校内フリースクール

 

の紹介へ移った。いや、知ってますよ!横浜の民間出身の校長先生が校内にフリースクールを作って、家具はみんなIKEAのもの、畑も耕して、そこに来た子も出席とする、そういった取り組みで不登校児ゼロを実現したって話。

 

すげ〜!と心から思ったけど、まぁ、そんなんは、すぐに広まるわけがない、だし、肝心なのは「ヒト」でしょ。例えすぐに、広まったとしても、誰かに命令されてきた人が、繊細な子どもの心に寄り添えるわけがない!と、思っていた。名古屋で始まるってことも聞いていたけど、公教育に期待しない私があまりにも染みついて、「へー」と冷ややかな反応しかできなかった。

 

でも、今日、その【校内フリースクール】を案内してもらって、その背景に想いを馳せながら、ほろほろ泣いてしまった。現場の先生が楽しそうに子どもとしている活動について、紹介してくださる。服装自由、登下校時間も自分次第、やりたいことは持ち込んでよし、誰にも会わずに入室できる工夫…などの環境で、好きに過ごしてよいとこと。

 

ここに至るまで、どれほどの人たちが想いや対話を重ねたのだろう?次男に関わってくれた教育関係者の方々は、決して何もしてなかったわけでは、なかったんだな。ちゃんと考えてくれてたんだ。

 

あー、長かったなぁ。

 

子どものために動いてくれる人がいた。そのことがわかって、ほんとに、嬉しかった。

 

その場所が、次男の居場所になるかは、まだわからない。でも、それでもいい。あなたのままでいいよ、というメッセージがある場所が、地域に、公教育の中にある、それだけで、私は満足なんだ。

 

今年度、スタートしたばかりで、周知ができていなくて、と先生。大丈夫、きっと生徒は増えるし、その子たちはどんどん成長するし、周りは影響されていくし、教育は変わっていくよ。そう思えた1日だった。

 

いつもいつも学校に行くのが面倒で、不登校であることを引け目に感じることは、正直ないのだけど、なぜか問題のないふつーのお母さんとして振る舞っていた私。

 

今日はほんと、感動して泣いてしまった。何を我慢してたんだろうね。

 

とにもかくにも、学校の新しい試みは始まったばかり。長久手市内でも、まだうちの校区にしかない。保護者として応援していきたい。

『夢みる小学校』を観て。

書きたいな、書けないな、でもやっぱり書いちゃお。

 

私は、映画「夢みる小学校」のきのくに学園の一つ、“かつやま子どもの村小中学校”卒業生の保護者です。映画撮影時期に、ちょうど息子の卒業を祝う会があり、息子の言葉も映画の中で語られています。親バカなので、毎回、そこで泣きます。

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名古屋上映が始まり、その作品に心うたれた私は、たくさんの方に観てもらいたくて、SNSから対面から、そのことについて伝えない日はないくらいの毎日を過ごしています。早くしないと上映期間が終わっちゃう!と思い宣伝してたら、延長延長で、まだ宣伝できちゃう状況💦いま、またブログを書いているという。

 

観てくれた身近なお友達から、フィードバックをもらうことも多く、また深く考える日々です。

 

よい教育だね、よい学校だね、ラッキーな子どもだね、ここへ決めた親がすごい、など、数々のお褒めの言葉をいただき、恥ずかしくもあり、誇らしくもあり。

 

それで、さらに考える。

 

自由な教育を受けた子どもたちが社会に出るとき、この社会は受け入れる準備があるのだろうか?

 

こんな風に『社会』を持ち出した瞬間に責任転嫁が始まり、問題がすり替わる。いや、違うなぁ。

 

私は好きなことをして、楽しく生きているだろうか?っこと。

 

楽しく🎶

 

なんて、簡単で薄っぺらい感じじゃなくて、んー、なんだろ?苦しくても、うまくいかなくてもいいんだけど、えー、ちゃんと自分の気持ちに素直に生きてるか?そんなことを問うてみたのです。

 

自分の気持ちに素直に生きる

 

まだまだな感じがしているけど、自由な学校へ通った子どもを持つ親として、『自分ができなかったから、子どもにしてもらおう』としないように生きる、と決めたのはいつだったか?

 

でも、学校教育で私にはできなかったことを、子どもにはしてもらいたくて、ここに出会った。あれ?矛盾してる。でも、いいや。理屈が通ってなくても。

 

私の傷に癒しが必要でここに出会った。だから、強い願いがこもっている。それは祈るような気持ちで…

 

“わが子が、たくさんの人を愛し、たくさんの人に愛される子ども時代を過ごせますように…”

 

そして、息子はこの学校で6年間過ごした。

 

でも時々思うのです。“自由な教育”の押し付けだったのかもしれない、と。ベクトルは違えど、毎日の課題を子どもにやらせる親と何も変わらないのではないか?

 

息子が卒業して2年が経つ。まだ、なんの答えもない。答えは変化するのかもしれないし、ないのかもしれないし、それでいいのかもしれないし、りんごかもしれない…🍎

 

いや、シンプルに!

何が言いたいかっていうと、ね。

 

内申点や大人の管理に縛られないで過ごす時間を「私」が息子にプレゼントしたかったから、そうした、それだけのこと。

不登校児のいま②

「もう一回、2年生の漢字を始めからやる。」

少し喜びを含むような凛とした次男(6年生)の言葉を聞いて一瞬、どう受け止めてよいかわからなかった。私は心の中に疼く、少しの戸惑いを吹っ切るように返事をした。

「じゃ、2年生の漢字プリント、最初から印刷しておくね。」

 

この6月から、次男はホームスクールを始めた。最初2ヶ月はzoomを通して学習塾の先生のサポートがあったが、ここ1ヶ月は自分で時間を守りプリント学習を進めていた。5年間学校に行かず、私が購入して置いてあった「うんこドリル」も放ったまま、動画鑑賞(って言葉、初めて使った)・ゲームの三昧の生活の次男がどこまでやれるか?わからなかった。

 

結果から言うと、完璧なまでにホームスクールをやりこなしている。時間も自分で守り、コピーの必要があれば自分でやり、できない印刷は母に頼む。月〜金曜日の11:00から30分間。お盆を除いて一日たりとサボらなかった。驚異の継続力だ。

 

6月のひと月で、1年生の漢字をやり終え、7・8月で2年生の漢字を終えた。その時かけた私の言葉は「今日で2年生の漢字おわり!明日から3年生の漢字だね!」すると、口下手な次男から嬉しそうに出た言葉が…

 

「もう一回、2年生の漢字を始めからやる。」

 

焦りも不安もないしっかりとした言葉だ。あぁ、そう、そうだった…。なんで勉強がキライになるのか、私は何度も何度も考えてきたハズだった。勉強自体をキライになるのではない。それに伴う“だれかの評価を気にする”ことや“興味のないことを覚える”こと、“できない自分がイヤになる”ことが苦痛だった。

学びの主体はだれ?

何度も何度も問い続けてきた、その答えを、次男ははっきり示した。なのに、私ったら、その言葉の意味が一瞬、飲み込めなかったのだ。

 

何度もその言葉を反芻して、日を追うごとに私はそれに癒される。その言葉にずっと感動している。もうこの子は大丈夫だ、そう思った。いや、ほんとはずっと大丈夫だったのだろう。私が気づかなかっただけで。

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新しい時代の生理用品『シグネクチャーショーツ』

アメリカでは、この手のショーツは存在しているらしい。私は全く知らなかった。ナプキン一体型ショーツ

 

【日本製・日本女性開発】

超吸収型生理ショーツ「Be-A《ベア》シグネクチャー ショーツ

https://camp-fire.jp/projects/view/256579

 

私はといえば…生理用品難民である。市販のナプキンにむず痒さを感じ、ワンサイクル持たないことから、自分に合った生理用品を探し始めたのは、もう15年も前のこと。

まずは、自然育児からの流れで「布ナプキン」これは、ほんと肌触りがよい。自分の好きな素材を選んで付けられるのは、とても良かったが!ズレるは漏れるは、手入れや持ち運びが面倒で、残念ながら長続きしなかった。

それから「ディーバカップ」というものに出会い、衝撃的な仕組みに飛びついた。あ、確か内田春菊の漫画に登場して知った。「ディーバカップ」とは、体内で月経血をキャッチして、その血液の溜まったシリコンカップを取り出して、処理するというもの。これも最初こそ、もの珍しさと好奇心で、みんなに勧めるほど盛り上がったのだが、やっぱり面倒で。シリコンカップを膣内にセットして…って、すごいよね笑

それからというもの、義母から譲ってもらえる「ララムーン」という使い捨てナプキンを使い始めると、痒みはなくなったので、ひとまずそこに落ち着いわけだが、今回は、それをまた超えて、試してみたくなる生理用品に出会った。

 

それがこれ⬇️

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コンセプトもステキ⬇️

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クラウドファンディングで支援して、2枚のショーツを手に入れた。届いたその日が生理スタートなんて、ナイスなタイミング。

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さて、オマタせしました。

【3日間の使用感】

1日目、素材感や履き心地としては

“スイムウェアのショートパンツ履いてるみたい”

あまり伸びないスイムウェア。普通のショーツのつもりで雑に脱ぎ履きするとビリっと糸の切れた音…ごめん、もう少し丁寧に扱います。履いた瞬間はポワーンとお腹や腰回りか温かく感じる。クーラーの効いた室内で身体が冷えていたのを実感すると共に、温かさにホッとする。

 

とはいえ、化繊なのだ。私はできれば天然繊維派。ヒートテックやエアリズムもよさそうと思っても買わない。特に直接肌に触れるのは、できるだけ綿がいい。というわけで、夜には少し肌が痒くなる。でも、せっかくだから、ここは“思い込み”を外そうと、化繊と仲良くなる決意をする。

 

肝心の吸収する部分は、思ったよりふっくらしていない。まぁ、ナプキン1枚挟んでるくらいの感覚。少し不安だったけど、2日目も1枚で過ごしてみた。ちなみにショーツの後ろまで防水されているので、寝るときに、このショーツ1枚でも全く漏れず、なんの心配もなかった。2日目の経血の量が1番多いので、これを乗り切れたら、まぁ、大丈夫だろうと、一日中1枚で過ごす。

結果から言うと、経血の吸収に問題はない。肌に触れる面も驚くほどサラリとしている。防水してるだろうから蒸れるかも、と思ったけど、嫌な感じはしなかった。吸収体の部分をトイレットペーパーで押してみると、2日目の夕方には少し経血がつくくらい。つまり、表面上にドローっとしたものとかが、ほぼない。ただ、抗菌・防臭機能があるとはいえ、アノ臭いはある。トイレのたびに気になるが、とりあえず、最近私の中でちょー流行っている【みょうばん水】の出番。これは、また別の話。これをシュッとひとふきすると、少し和らいだ。一日中、経血を含むショーツを履く…これに対抗がある人も多いと思う。だって、子どもを想像してみると簡単だけど、紙おむつを一日中履きっぱなしって、ね。でも思ったより、オマタはパンパンにならない。そうそう、経血量って、案外少ないんだよね。

 

洗い方は、布ナプキンと同じ。お風呂に入ってる間、洗剤(アルカリウォッシュとか石鹸とか)溶かしたぬるま湯につけ置いて、出るとき手洗いして、そのまま干す。

 

というわけで、向き不向きはあると思う。化繊が大丈夫か?臭いが気になるか?それよりゴミを減らしたいか?あ、そうだ。ショーツの色が黒だから、良くも悪くも経血の状態が分からない。チェックしてる人には不向きかも。あと、そう!なかなかトイレに行けない仕事やアウトドア のときは、いいね。

 

何を優先させるかは人によるけど、私は何より楽チンなので、これからもこれを使う。みょうばん水を持ち歩きながら。

 

これを開発した女性2人には、ほんとに感謝したい。たぶん、かなりの人を助けるショーツになると思う。被災地の女性にナプキンを届けた人もいると思うけど、これがあればいらない。なんなら防災用に1枚カバンに入れといくのもいいと思う。入院中の女性とか、障害があってナプキンの扱いが難しい人とか、きっとユニバーサルデザイン(この使い方で合ってる?)なのだ。

 

素材ももっと気持ちいいものになるよう意見を寄せてみよう。きっとすぐに、この分野も大手が参入して、市場は大きくなるだろう。でも、2人の女性が勇気を出してこの製品を生み出したこと、たくさんの支援が寄せられたこと、関心の深い取り組みであること、しっかり心に刻んでおきたいな。

 

それはそれとして、45歳の私、あと何回このショーツを履くことになるんだろう?産まれる前から、1人の女性が持っている卵子の数は決まっているらしい。そう思うと、なんだかさみしいような愛しいような、この身体の仕組み。あと少しの付き合いだけど、よい出会いがあって、とても嬉しく思っている。

 

あー、長くなったー。最後まで、読んでくれてありがとう。楽しかった🎶