上映会を終えて、1週間、さらに振り返り…
この上映会は、個人名で主催しましたが、企画段階から長久手仲間に助けてもらっていました。もちろん当日も、スタッフとして動いてくれる人たちがたくさんいて、成り立っていました。その一人一人もまた、個性的で自分の足で人生を歩んでいる人ばかりなので、私が指示することより、それぞれの考えで行動してくれることが多かったです。私はみんなに、とても助けられていました。
“自分で考えて動く“
そのことが難しいことや、できないときもあるけれど、あの教育を受けたらできる、あの教育を受けなかったからできない、のではないと感じています。
あ、なんか、うまくまとめようとしてるけど、全然、良い言葉が浮かばないので、トークライブ前日に、卒業生の1人から私宛てにきたDMを掲載します。
“すごく個人的に感じているモヤモヤなんだけど、「きのくの子」みたいな大きな主語で子どもたちとか卒業生が語られることに、とても違和感があるんだよね。映画の中で辻さんも「きのくにの子は問いが立てれる」って言ってたけど、もちろん問いを立てれるのが得意じゃない子(それを言語化するのが難しい子)もいるし、逆に、与えられた問いに対して自分なりのプロセスで答えを出す子もいたりして。
なんか、僕たちはこの映画を通して、子どもたちの多様性とか、価値判断できないような各自の能力、みたいなものを実感するはずなのに、個性的な学校であるからこそ「個性的な子どもであるべき」みたいな風潮が、映画を観てくれた人とかにも内在してる気がしてる。
だからこそ、僕は「きのくにの代表」という感じで登壇したくないなって気持ちがあるんだ〜。
だからといって、今回のイベントでそういう扱われ方をしてるわけじゃないから、何か要望があるわけじゃないんだけど、とりあえず言ってみた!”
〜きのくに学園代表じゃない久保はるかより〜
これ以上に、付け加える言葉が見つかりません。終わっていいですか?
不完全なままで生きていくことを、楽しんだり、受け入れたり、助け合ったり、寄り添ったり、ときに放置したりしながら、毎日を過ごす。そんな特別なことじゃない気がしてきた映画上映会でした。
特別だけど、特別じゃない場所へ…
最後になりましたが、こちらのイベントに参加して一緒に時間を作ってくださったみなさま、ありがとうございました。登壇してくださったスピーカーのみなさま、おかげさまで一人一人の心に届く、すてきな時間になりました。ありがとうございました。そして、いつもそばで助けてくれる長久手仲間&もり母のみなさま、私の家族のみんな、巻き込まれてくれてありがとう。まだまだ楽しいことがしたいです。これからも、よろしくね。
佐藤しのぶ