「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

公教育を不登校児の母が考える

わが子、3人兄弟は、それぞれ登校拒否をおこして公立小学校に通っていない。

 

細かい状況は、一旦端折る。親として、この状況を正直なところ、当たり前に起きることだと予測していたものの、3人ともが地元の公立小学校に通わないという状況は、面倒なこともたくさん、ある。

 

私自身が学校嫌いなこともあり、6年前に長男が「行かない」と言い出したときには、受け止める覚悟があったが、学校に行かない子どもの居場所に選択肢はほぼない現状を知った。(今では、だいぶ多くなったし、これからは増え続けるだろうが…)

 

長男の頃から、私の学校嫌いを爆発させて、いろんなところで公教育の批判を繰り返してきたが、いまは、それに力は注いでいない。いろんなことが私の中で起きて、3人目の末っ子の「登校拒否」には、

 

『あー、これはただの時代の流れなんだなぁ』

 

と思っている。プロブロガーいや、YouTuberが「学校はオワコン」だと言い、月7桁稼ぐ現役中学生が「学校を損切り」と言う。そこそこの影響力のある人の発言は、物議を醸し出すだろう。教育とビジネス用語のアンバランスさに、余計とインパクトを与える。

 

そのむかし、私は教育そのものを批判していた。先生や教育システムや行政などを対象に。ほんと、エゴ丸出しだったなぁ。どこかに犯人がいると確信してる二流探偵みたいな私だった。でも違ったなぁ。学校行かないと決めた子どもはもちろん、たぶんさ、何がどこが悪いわけじゃない。

 

ほら、人力車は運転士(って呼ぶの?)ががんばってないからなくなったわけじゃない、のと同じだと思うんだよね。時代の変化で、新しい乗り物が生まれたり、道路が整備されたりしたから、なくなったんだよね、たぶん。

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だから、何が言いたいかというと、これから教育について、傷つけてたり傷ついたりとたくさんの『言い争い』が勃発するんだと思う。どちらが正しいか?ということが大事じゃない。そこに力を注がないで、みんなで“これからの学び”を作りあげられるたらいいなぁ、とゆるく思ってる。

 

ゆるく…思うことにする。そうじゃないと、すぐに正義の名の下に、大なた振りかざしてしまいそうな自分がいるから。

 

と言いつつ、時代の流れが変わるとき、少なからず傷を負いながら、新しいものを築いていくのかもしれないなぁ、とも思う。母親の前に1人の人間として、みんなで一緒に傷を負いながら、それでも少しでも前にコマを進めたいと思うのは、本能かもな。

 

あー、長くなったし、めっちゃマジメに書いたなぁ。つかれた。