「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

集団づくりを、算数で考える④

忘れてませんよ。続いています。むしろ、狙ってます。

 集団づくりを、算数で考える① - 「いまを生きる」勇気

集団づくりを、算数で考える② - 「いまを生きる」勇気

集団づくりを、算数で考える③ - 「いまを生きる」勇気

 

今回は「イベントをどのようにつくるか?」

 

ご存知のかたも多いのですが、私は来年2月にキングコング西野さんをおよびして、長久手でイベントを開催する予定です。そのイベントのつくり方を、今までとは違う集客の仕方をしたいと思っています。これは、実験です。

f:id:shino-bu147:20161023194954j:plain

上記のような集客の仕方がこれまでのイベントです。

①イベントを仕掛ける側が箱(アーティスト・場所・料金・コンテンツ・時間・コンセプト)を用意する。そこに関心を持ち条件が合った点(人)が参加する。

②イベント終了後、箱が解体される(イベント終了後)と、点(人)はバラバラに帰る。ときに気の合った人同士繋がりができて、線(絆)が生まれることもある。

 

これでは、せっかくたくさんの人が集まるのに、たいしてコミュニティが生まれないまま、解散していくことがもったいないし、つまらないと思いました。かといって、点を線にして、面にしていくことは時間が必要です。というわけで、イベント後にコミュニティ形成されていくにはどうしたらいいのか?考えました。考えて考えて考えて、閃きました。こうしたら、いいんじゃない⬇

f:id:shino-bu147:20161023200338j:plain

③面(すでにあるコミュニティ)ごと、集める。

④面(チーム)を重ねる。

⑤イベント当日、面の集合体が立方体(集団)を形成する。

⑥イベント終了後、いろんな面(チーム)が混ざって、境目のない立方体(集団)となる。

 

こんな仮説を立ててみました。どうでしょう?

 

なので、今回のイベントチケットは、チームチケットにしようと思っています。すでにあるコミュニティごとにお誘いするのです。しかも、口コミのみで。つまり、イベントにいる人は誰かの知り合い、という状況をつくってみようと思っているのです。できるだけ、小さなマチで深く人を集めたいのです。これは、イベント前とイベント当日、イベント終了後にそれぞれの物語が紡がれるように・・・。という願いがあります。

 

そして、より効果的にチームを繋ぐために「わずらわしさ」(長久手名物!)投入です。チームごとに役割を担ってもらいます。そこはチームで話し合い、当日までに仕上げてもらいます。例えば、託児担当、会場設営担当、フットサル担当、食事担当、何にもしない担当、笑い声担当、音楽担当、映像担当など。自分達で考えたやりたいと思う役割を、当日担当してもらいます。

 

何かしら、イベントつくりに主体的に関わってもらおうという魂胆です。しかも、できるだけオモシロ担当をしてくれるとより、嬉しい。例えば、呑んだくれるだけのチーム。焚き火で温まってるチーム、ずーっと鬼ごっこで遊んでるチーム、仮装させちゃうチームとか。

 

わー!楽しいわ。

「いつまでも、客でいられると思うなよ!」は西野さんの名言。

 

私のことを知ってる方は、参加したーい!と意思表明してくださいね。口コミだけで、どれだけ広がるか、実験してみませんか?デジタル化の激しいこの世の中、人間の口伝えは、それを超えていけるのか。めっちゃ、楽しみなんです。そして、あなたの大切な友人をお誘いくださいね。イベント当日は、誰かの大切な人の集まりにしたいのです。だって、また会いたいって思う関係を紡ぎたいから。

 

一日限りのイベントだと思って、侮るべからず。

 

みんなで紡ぐストーリーは、どこまでも続くんだから。

 

私の大切なみなさま、お力をお借りします。いつも助けてくれて、ありがとうございます。今回も、いっぱい助けてもらう覚悟で挑みます。よろしく。

 

愛してる❤

 

アメトーーク「スゴいんだぞ!西野さん」、みちゃった?

最近、私が「西野さんが」「西野さんの」「西野さんを」という話を、会った人にも、SNSでも投入していくので、おかげで木曜日に放映されたアメトーーク「スゴいんだぞ!西野さん」を観てくれた人がいた。

 

私も観ましたよ。マジで正座して。

 

夜、遅くまで起きていた小6長男にも声かけて。

「お母さんね、この人を長久手に呼ぶんだよ!」って自慢げに!

 

・・・

 

そういえば、しばらくテレビのない生活をしていたから、久しぶりに時間通り一本の番組を丸っと観た。たぶん、8年ぶりくらい。

 

・・・

 

え!?え!?え〜!?

 

どうしよ。全然おもしろくなかった。観る前の西野さんのblogがすっごいおもしろくって、期待値上げすぎてた?

キングコング 西野 オフィシャルダイアリー - 【キンコン西野】私はセックスが上手 - Powered by LINE

 

大好きな西野さんがいじられていて不愉快だった、とか、自分の感動を茶化されたようでガッカリした、とかいう気持ちはあるんだけど。それだけじゃないんだよね。だって、どっかででみた「ゴットタン」の素人さん?との絡みとか、ケッチョンケッチョンにケナされながらも最後に披露した劇団ひとりさんとの漫才、最高におもしろかったんだよね。かなり、全体的にヤられてたけど、スゴい、スゴかったもん。

 

イジられたり、愚かな感じだったり、ナルシストを気どったり、そういう演出の西野さんも嫌いじゃない。ただ、あの「アメトーク」。おもしろそうなメンツ揃えて、あれで笑いが取れて、何がおもしろいのか、とっても不思議だった。

 

番組の途中、振り返って見た息子は、イヤホンかけスマホに夢中。

 

今年9月に入ってトークライブに行って、急に西野さんを好きになった。普段テレビを観ないし、芸能ニュースにも関心のない私は、西野さんがどうして嫌われているか、全然わからなかった。けど、こうやってキャラを作っていくのかと思って観ていた。それともあの構成で、みんな喜んだのかな?なんだか、消化不良。

 

それでも、すぐネタにしちゃう西野さんはスゴいなって思った。収録後から、練っていたんだろうな。放送日のblogをどうするか。

キングコング 西野 オフィシャルダイアリー - 【アメトーーク】東野幸治に殺された - Powered by LINE

 

2、3日、モヤモヤしてたけど、もうこれは“人気の先送り”だってことにしとくことで、なんとか自分を納得させる。いま、いいコト言って、いいヤツぶって、いいコトしても、つまらないのかもしれない。生き方がカッコ良すぎることは芸人として《落第点》なんだろうか?ハンサムな芸人さんは、おしなべてお笑いセンスがなさそうだもん(失礼!)。んー、情熱大陸…遠くはない気がする。

 

あー!そう!「西野さん」が「アメトーク」が、っていうより、私、「テレビ」にがっかりしたんだろうな。だって、もうタレントのプライベートも見えてる時代に、西野さんのあの演出がベストだと思えないんだよね。テレビはウソつきだって、やっぱり思ってがっかりしたんだ。西野さんの本を買って感動している10万人を敵にするほど、笑いがとれてなかったんじゃない?

 

私が長久手に西野さんをよんで、何をするか、考えちゃうな・・・。

 

よし!この話はもう、おしまい。

 

ただいま、えんとつ町のプペル、絶賛発売中!

amazon売れ筋ランキング1位爆走中!

 

たぶん、売り切れて増刷して、しばらく品薄になることもあるだろうから、見かけたら、その場でゲットしてね。

 

f:id:shino-bu147:20161022233931j:plain

 

細かい仕掛けを見つけるのが好きな私には、西野さんの遊び心がツボ。だって、絵本の中にQRコードが、シレッと印刷されているのを見つけたときなんて、最高に楽しかった。西野さん、いつも、ありがとう!

 

おかげさまで、ガッカリしたり、モヤモヤしたり、ドキドキしたり、忙しい。

 

さーて、こちらのイベントでは、西野さんにドキドキしてもらいたいなー。どうやって、つくっていこうかな。

 

私の魔法のコンパス、頼むよ!

 

 

集団づくりを、算数で考える③

今日は「まちづくり」を算数で考えてみる。

 

って言っても、前回と同じ。中身はあんまし変わらない。前回は私が図の中にいなくて、客観的な集団づくりの図だったけど、今回は、私が点で始まっている。今までのシリーズはこちら↓

 集団づくりを、算数で考える① - 「いまを生きる」勇気

集団づくりを、算数で考える② - 「いまを生きる」勇気

 

f:id:shino-bu147:20161017141855j:plain

①私がいる

②まちづくりに興味のある仲間と出会う→「なでラボ」結成

③1人1人の人生に触れ、少しづつお互いを知る→studio-Lのワークショップ

④複数のメンバーと絆が深まる

⑤個人の集合体、線の交差が面を織りなしチームとなる

 

愛知県長久手市は、コミュニティデザインstudio-Lさんのサポートがあって、ここまで順調に・・・とまではいかないこともあったけど、その困難さも含め、サポートがなくなった今でも、緩く面を織りなしていると感じている。「なでラボ」の説明は以前のblogを参考に↓

まちづくりにおける“西野亮廣”という調味料① - 「いまを生きる」勇気

 

で、次のステージとしては

f:id:shino-bu147:20161017142758j:plain

⑥働き盛りのチームとして、面であることを活かす

⑦他の団体の接着面として機能する

⑧団体やグループをつなぐことを役割とする

⑨そのうち、チームとして厚みが出て、個人やチーム・集団を受け止め繋げていく「なでラボ」になるといいな、という個人の展望

 

こんな感じで「なでラボ」に参加しています。いま、やっと⑥の状態で、⑦の認識は統一した見解ではないけど、すでにそんな役割が生じているので、きっとこれからも地域の中で役割を担っていくんじゃないかな。⑧、⑨は完全に私の見解。ま、でも、外れてはない気がする。10年20年先に、それがどうだったか評価されるチームだと思うので、これからが遊びどき!

 

私は正直、「まちのため」とか思っているわけじゃない。いや、もちろん、その側面があるんだけど、自分の欲求を深く見ていくと、まちを利用した壮大な実験なんだと思っている。人と人がつなっがていくこと、チームが成り立つ過程、集団として成長していく様子が、私にとってはものすごく興味深くてドキドキする。今も西野さんを呼んで長久手市でトークライブをする計画を立てているんだけど、それだけで、おもしろい活動をしていると人とどんどん繋がる。話しているだけで、面白いアイデアがどんどん生まれて、それをどう実行しようかとワクワクする。

 

それが、だれかの喜びを喚起させるなら、そんな嬉しいことはない。

 

次回はそのイベントをどうやって、面白くするか?算数で考える。あ、また、同じことなんだけどね。

紙幣というラブレター

西野さんのクラウドファンディングに支援(トークライブ絵本100冊付)してから、周りの方々に、私の支援をしてもらえるように呼びかけた。31万円の口座から、スコーンと30万円を入金したからね。

 

そのことがきっかけで、会う人からは手渡しで、FBで繋がっている人からは口座入金をしてもらった。ただいま15万円、集まっている。なんか、もうね。お金をいただくって、こんなにも温かい行為なんだって、改めて感じてる。

 

「はい、これ、しのぶちゃんの想いを支援するから。」

 

と手渡された瞬間に、身体の真ん中からじんわり温かいものが広がっていくんだ。それを何かに例えるなら、そう!“ラブレター”なんじゃないかって思った。想いに共感する、支援したい、その勇気を讃える、いろんな想いをその紙幣に乗せて、私に贈ってくれる。そのことが、あまりにも嬉しくて。

 

そういえば、私が西野さんに支援した30万円だって、きっとそうだ。熱烈なファンレターなんだと思う。

 

今まで1人よがりの強かった私が仲間を募って何かをしたいと強く思えた時に、西野さんに出会えてよかった。まだ、始まったばかりだけど怖くはないよ。周りに助けてくれる、甘えられる友人がたくさんいるから。でも、とびきり楽しいイベントにしたいんだ。演者と参加者の境目のない1日。

 

あなたが来なくちゃ始まらない、そんなイベントをみんなでつくる。

 

私へのラブレター、まだ受け付けている。

愛の循環をしていこう。一緒に。

f:id:shino-bu147:20161017111954j:plain

集団づくりを、算数で考える②

お待たせしました。大好評!連載第2弾!

第1弾はこちら↓

 集団づくりを、算数で考える① - 「いまを生きる」勇気

 今日は集団を、私の働いていた《学童保育所》を例に描いてみる。学童保育所とは、保護者が就労などを理由に下校後、保育の必要のある小学生を預かる施設。名古屋市は1〜6年生の子ども達が通っている。

 

一年の中で、どんな風に集団ができて行くのか、算数で見ていく。今回は四月、保育園児・幼稚園児だった一年生がどのように集団に馴染んでいくのかを、図に描いた。

 

四月、旧6年生が中学生に上がり、集団の土台となっていた部分がスコーンとなくなる。その上に、新しい一年生(点)が入ってくる。このとき、繋がりもなく、まだ、点のまま台の上に乗っている感じ。

f:id:shino-bu147:20161011134105j:plain

一年生だけを見ると、こんな感じ。

f:id:shino-bu147:20161011134540j:plain

①最初1人(点)で入ってきて、まだ名前も知らない状態

②次第に名前と顔が認識され、他人(他の点)を意識する

③関わりができ始め、ケンカしたり遊んだりしながら絆(線)が生まれる

④一緒の時間をたくさん重ねることで、いろんな子と接点が生まれさらに絆(線)が増える

⑤絆が深まる(線が太くなる)と、チーム(面)となる。

これで、一年生のチームができあがる。

f:id:shino-bu147:20161011135219j:plain

そして、一年生チーム(面)は、他の学年とも交流を持ちながら馴染んでいく。個人やチームの力も増して厚みが出てきて(立体になってきて)、その年の12月頃には、集団の一部として、しっかり存在感を出している。1年生同士チームを作ってから、他の学年をつながる訳ではなく、日常生活の中では他学年との交流も多い。縦にも横にもつながりを作りながら、ゆっくり馴染んでいく。

 

わかりやすく立方体を用いているが、その年によって出来上がる集団のカタチは様々だ。ひょうたん型、円すい型、富士山型と。だから、おもしろい。子どもの集団は点によって、線によって、面によって、カタチが変わる。学童保育所の目指すカタチは“特にない”ので、毎年できあがった集団をいつも新鮮な目で見ていた。算数で描くと簡単だけど、実際には一本の線1つにいろんなストーリーがある。一個一個、大切な物語。その積み重ねが集団をつくる。

 指導員であった大人は何をするか?って?

基本的には【何もしない】を心がける。なぜなら、大人が集団をコントロールすることは容易で、知らぬ間に目指すカタチを押しつけてしまうことをしてしまうからだ。子ども達もカンが良く、その場にいる大人の意図を汲んでくれる。それを利用して集団をつくることもできる。でも、それをやっていくと、ずーっと大人が問題解決に口を挟まなくいけなくなり、集団の自治を阻む。とはいえ、何にもしないことも難しく、やっぱり、ちょいちょい気は使う。そんな感じ。最低限、“大人の作ったルールや勝手な思いで、面を囲まないこと”はやってきてたかな。

 

あ!簡単に言葉を載せちゃった。

 

『集団の自治を阻む』

 

ここ、結構、重要。チェックペンで赤く線引いて欲しい。集団の自治・・・簡単な言葉にすると『子ども集団の中で、必要なあらゆる判断を子どもたちに任せる』ということ。ここ、ホント大変だし、難しい。けど、1番やりがいのあるコトだったな。

 

 いっぱい子どもたちと向き合って、自分を見つめ続けて、たくさん失敗して、そうして、やっと掴んだこと。“自由な保育”なんて、簡単そうでカッコイイけど、自分を自由にし続けることから逃げられないってこともわかった。

 

結構、深いのだ。

 

さ!次の例は、まちづくり。

集団づくりを、算数で考える①

最近自分の中で、流行っている。

 

集団づくり、もしくはまちづくり・・・「コミュニティ形成」を算数で説明するということ。

あらゆる組織づくり、イベントにだって適応できちゃう。

完成形を立方体とする。つまり、集団がうまくいっている状態を立方体とする。ココでもう意味わかんない人は、ごめん。ちょっと、がんばって読んでみて。 

f:id:shino-bu147:20161010011718j:plain

上に書いたように、点から始まり、点と点が結び、面となる。そして、その面が6面揃って立方体となる。完成。

 

これを集団づくりに例えると、点は1人の人間。線は繋がり、面はチームを表す。

まずは、1人の人間(点)から始まる。人と人が繋がることで、絆(線)が生まれ人数が増えればチーム(面)になる。そのいいチームが複数存在することで、バランスのいい集団(立方体)ができる、という流れ。

 

ここまで、よいかな?

 

私は長いこと、子どもの集団づくりに関わってきた。いい集団をつくる!なんて、今思えばおこがましいけど、結構頭を悩ませてきた。でも、退職間近には、もう悩んではなかった。なぜなら、集団は“つくるもの”じゃなくて“できていくもの”ということがわかったから。

 

最終的にやることは1つ。点を濃くするってことを大事にしていくだけでいいってこと。つまり、個人の力を最大限に出せるような環境をつくる、ということ。

 

いくら線を、面を、立体をつくろうとしても、点がしっかりしていないと全然結ばれない。逆に、点がしっかりしていれば、自ずと線が生まれて面になることがわかった。そして面が分厚くなったり、他の面とつながることで、“勝手に”立方体になる。

 

これね、あらゆる場面で役に立つ。コミュニティ形成って、実は簡単。誰もが考えないでやってることだと思うんだ。だから、頭を使って集団づくりをしようとした途端、難しくなる。

 

次回は例を出していくよ。

 

 

 

大切な人がくれた、大切な時間

一年前、彼女は身体から離れた。お通夜前日、手を合わせに行った。身体はあったけど、彼女はもういなかった。綺麗な満月の夜だった。

f:id:shino-bu147:20161005134538j:plain

彼女との付き合いは長く、たぶん、そうだな。18年?くらい。当時シングルマザーで2人の子どもを育てていた彼女は、その後よき出会いがあり結婚し、子どもを授かり、さらに年月は経ち、孫が産まれておばあちゃんにもなった。

 

彼女の病気がわかり、気遣うことが増えて初めて彼女の人生に触れることとなった。苦しい環境の中で子ども時代を過ごしてきたと。

 

彼女がこの世から離れて一年が経った。近しい人たちだけで持ち寄りご飯会。賑やかな一周忌。「笑って過ごしてほしい」と彼女の願いは今もなお守られている。

 

そんな中、10歳から知っている現在二児の母である彼女のムスメと話した。ムスメは闘病中の苦しい母を、家族を、ずっと支えてきた。自分もいつだって崩れてしまいそうになるのをこらえながら。今は、母の代わりに家族に笑顔を振りまき、毎日家事を担っている。ムスメは私にこう言った。

 

「いつも甘いミルクの入ったカフェオレじゃなくて、時々ブラックのコーヒーが飲みたくなる、みたいな。」

 

今の幸せな家庭環境と、母が育ってきた家庭環境をこう表現した。ずっと苦しかったんだろう。母を愛しながら、母の生い立ちを愛せないのは。ずっと恐れていたんだろう。母の苦しみを自分が背負っているような気がして。

 

そうして、言った。

「両方、大事だなって思えたんだ。」

スッキリした、美しい笑顔で。綺麗な満月みたいに。

 

ねぇ。あなたのムスメはすごいね。あなたの苦しみを解き放ってくれたよ。いや、一緒にそれをしたのかもね。だから、安心してね。あなたの家族はあなたの愛情に満ちて生きてる。肉体はなくとも、愛の循環は続いている。すてきなことだね。

 

私は何にもしてやれないけど、何にも必要ないみたい。

 

私のblogを楽しみにしてくれているムスメに捧ぐ

「今日は西野じゃないから(笑)」