「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

新しいイベントのカタチ①

描き出さなくては。あの、イベントのことを。

いきさつからイベント後のことまで語ると、一冊の本ができちゃうんじゃないかってくらいエネルギーを注いだ、あのイベントのことを。

 

みなさまのおかげで、2/5(日)、大きなイベントが終了したしました。事故・怪我もなく、参加してくれた方々からは多くの反響をいただき、こちらの予想を越えた感想が届いていることに、正直驚きを隠せません。

 

500人(うち子ども100人)もの、参加者を2ヶ月あまりで集めたのですが、いろんなおもしろい条件が重なり、今までにない人の集め方をしたんです。まー、これがよかった。いろいろ語りたいのですが、順番に。

 

⑴西野さんを長久手にお招きしたかったワケ

⑵コミュニティ形成のイベントづくり

⑶イベント計画段階で、発揮した力

⑷イベントを開催するにあたり、気をつけた“ない”こと

⑸ゲスト選びと参加者選び

⑹当日の参加者の動き

⑺イベントの後で・・・

 

こんなことを順番に語って行きます。

 

今日は、私の素性を。

 

【佐藤しのぶ】

1974年生まれ。長久手市在住、3人の子どもと夫と5人暮らし。名古屋生まれ・在住だったが、現長久手市長・吉田一平さんが市長に就任したことで長久手に移住する。

 

独身時代から働き始めていた学童保育所では、3回産育休をとりながら働き続けていたが、昨年4月退職する。小6長男は自由教育「かつやま子どもの村小中学校」に通い、小2の次男は現在不登校。昨年5月に「いつ帰るかわからない」と言い残し、次男・長女(4歳)を連れて、宮古島へ旅に出る。40日間くらいで帰宅。

 

旅の区切り、新しいスタート - 「いまを生きる」勇気

 

その後、自身の内面で起こるいろんな気持ちに向き合い、絶望感をしっかり味わい尽くしたところで「西野亮廣」に出会う。

 

新しいイベントのカタチ② - 「いまを生きる」勇気

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日本の人口推移から見る、これからの生き方

この下のグラフ、見えるかな?

誰もが知っている日本の人口減少を示すもの。

2004年を境に日本が人口を記録して以来、初めての人口減少が起きている。

 

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そう、みんな知ってること。

この前に、まちづくりの話を伺った時に、改めてこのグラフを見て思った。

 

あー、初めて起きる仕組があちらこちらで始まる・・・いや、もう始まってる。もう、どこでも、だれでもこの話は議論しているだろうから、専門家気取りの話は一個もできない。ただ、母として、家族単位で何が起きてくるかってことが、見えてくる。

 

え?見えてこない?

 

うん。正直、見えてこない。というか、従来通りの仕組みの中では生きられないってことだけは、わかる。日本だけ相手にしてたら経済は回らないから、世界を相手にする。ロボットのできる仕事は、みんな無くなる。そんな、よく聞く話じゃなくて。

 

母として、女として、人として、自分がどう生きるか?

 

このグラフを見て考えたときに、不安と共に期待感が湧きおこった。

 

もっと早くに、今の仕組みに嫌気がしてたから。そして、もっと早くに動いている人もいっぱいいて、その動きにワクワクしていた。

 

でもね、変化には痛みが伴う。常識が崩れるとき、必ず、苦しい局面がくる。そこを、丁寧に向き合いながら傷つきながら、それでも前に進む勇気を持てるかどうか?の力が大事。私はモツかな・・・。

 

家族の在り方、働き方、学校の仕組み、経済の流れ、地域社会・・・あらゆるものが、変わる。怖いね、楽しみだね、ぞわぞわするね。

 

その中で、私は何して、あそぼーかな。

 

幸も不幸も選べるほどに、私は自由だ。

 

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全ては陰陽の中にある

最近、何度となくこのマークがわたしの頭に浮かんでくる。

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光の中に影があり、影の中に光がある。

 

苦しみの中、藁をもすがる気持ちで光を見出すことが美しいなら、喜びの中、影を見出すこともまた、美しい。

 

えーと、何が言いたいかっていうと、時々、幸福の中で当たり前すぎる日常に、楽しさを見出せなくなる時がある。でも、なんだかよくわからない落ち込みや、嫉妬や不安や寂しさにちゃんと溺れると、幸福感で満たされる時があるってこと。

 

だから、ネガティヴな気持ちって、すっごく大切だなって思ってる。

 

Happyを味わいたいなら、Unhappyを味わえばいい。

 

その感情は、ただ、無意味に揺れ動くだけ。私の感情が、ポジティブでもネガティヴでも、だれかがそうしたわけでなければ、自分のせいでもない。

 

自然の摂理

 

時代がいつも変化して行くことが常なのと一緒で、ただ変化し続ける・・・。

 

そうしてスパイラルしながら、少しだけ上昇しながら生きている。

 

私も、あなたも。

 

 

私とムスメと・・・

公園に行き、木々を眺める。

 

1週間前のグラデーションと、色の割合が変わっている。その一本の樹、それだけで心が動く。

 

どれだけ多くの芸術家が、その美しさに魅了されて絵を描いてきただろう。

どれだけ多くの音楽家が、その空気感を音にのせようとチャレンジしたのだろう。

どれだけ多くの教育者が、その神秘性を伝えたくて工夫してきたのだろう。

 

最近私は、4歳の娘の動き、歌声、表情の変化、全てに驚くほど惹かれる。

「かわいい」

たった一言で表現してしまえば、それまでだ。

 

女として生まれ、女として生きる。その歴史を私は彼女に託している。それはきっと、私より幸せになるなんてズルい!という、呪いの気持ちに正直になれたから。私の中に、彼女が私より幸せになることを拒否している可能性を、見つけたから。

 

だからこそ、愛おしい。

 

そうして、心から祈りのような願いが湧き起こる。女として生きることを大切にできなかった自分に懺悔するような気持ちで。

 

どうか、女であることを誇りに思って生きていけますように・・・

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私「ムスメちゃんの服、かわいいね💕」

娘「ママが小さくなったらあげるね💕」

 

 

いつだって、私は女として負けちゃうのだ。底なしの無邪気なかわいさに。

 

大人の遊び方〜泥だんご編〜

私は、大人になってから「光る泥だんご」作りにハマった。

 

流行ったのは、どうだろう?25年くらい前かな?学童保育の仕事をしている時に、保育園上がりの子どもたちから、教わった。最初はボッコボコのジャガイモみたいな泥だんごしかできなかったけど、何度も何度もやっていくうちに、ちゃんと、まあるくなるの。

 

もっと光らせたくて、流行らせた人の本まで買って。

https://www.amazon.co.jp/光れ-泥だんご-普通の土でのつくりかた-加用-文男/dp/4062110113

 

で、作って壊して、作ってあげて、を繰り返していくうちに、そこそこのモノができるようになった。でも、まだ、クレーターみたいなものができて、最高の「泥だんご」を作ったことがない。

 

正直、出来上がると、嬉しさよりも落胆が大きい。

『あー、また、ツルッとできなかった・・・もっと、キレイなものが作りたい!』

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泥と砂をひたすら、触り。それがなんとも心地よい。力を最小限にして、だんごの曲線をなでる。これは、ホントに職人の粋。いや、笑うけど、マジだから。単調な作業なのに、その積み重ねが結果を左右する。

 

ん!これ、子育てと一緒だな。

 

力を入れると壊れ、優しすぎるとカタチが整わず、途中で何度も投げ出したくなり、完成したその姿は理想形ではないものの愛さずにはいられない・・・。とか言ってみる。

 

手の感覚が全ての泥だんご。これ、作っている時に、“無の境地”になる。おもしろいことに、大人が真剣にやり始めると、周りの子どもに伝染して、あちこちで泥だんご作りが始まる。

 

やりなさい、やろうよ、やったらおもしろいよ。

 

そんな声かけよりも、ずっと、「大人の本気」は伝わるのだ。

そういうこと。泥だんご、恐るべし。

 

子どもを見て、『くだらない』と思うなら、あなたの人生がくだらない。

子どもを見て、『好きなことやってる』って思うなら、あなたの人生そのもの。

子どもを見て、『うらやましい』って思うなら、私、さっさとヤレ。

 

で、ゲームとyoutubeの動画見て楽しんでる息子を『くだらない』と私は思っているので、私もくだらない人生。泥だんご作ってるからね。くだらない、からダメでもないし。ダメ?いや、ダメでもいいしな。

 

お金を稼ぐ、真面目に働く、いいお母さんになる、身体にいいものを食べる・・・いろんな、「きちんと」が、自分から離れていく。そうすると、遊び方が、ふっと湧いてきて。

 

大人の遊び方!そう、私の身体を超えて遊び出す。泥だんごに夢中になっている気持ちと何にも変わらない。ただ、この球体がどこまでも「まる」でありますように、ただ一点を祈り続けるだけ。

 

アホっぽく、どこまでも、地球をなでるみたいに。

まあるくなりますように・・・

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 子育てカフェ、やります。一回きりか、続くのかはわかりません。

ランチ食べながら、そんな日常を語らいましょう。

日にち:11月21日(月)

時間:11:30-14:30

参加費:3000円(+各自飲食代)

場所:カフェミールバロック(長久手市)

https://tabelog.com/aichi/A2303/A230302/23049230/

5名まで。

メッセンジャーからお申込みください。

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今後、おハナシ(話す・離す・放す)会での講師、やります。一名ごとに参加費3000円お支払いください。あなたの街のお話し会にお招きください。5名以上集まれば、伺います。名古屋市内か長久手市内で。働いているお母さん。土日に企画してください。

「小学生の放課後」

「学校に行きたくないと言われたら、どうするか?」

「仕事、子育ての両立」

「自分の生き方」

「夫の育て方」

このあたりのテーマで、話して、離して、放してみませんか?いつものメンバー話してるといつものグチ、いつもの価値観、いつもの方向しか見えてこないものです。いつもと違う視点や、問いの中でおハナシしましょう。

facebookで繋がっている方は、メッセンジャーから。そのほかの方は、がんばって念を送ってください。うそ。ご縁があれば。

 

 

小学生のお母さんへ『子どもの困った!は財産になる』

小学生の子どもを持つ、全てのお母さんへ

 

私は20代から41歳まで、ずっと小学生を預かる“学童保育指導員”の仕事をしてきた。その間、結婚・(育休・出産・育休)×3回、職場復帰を3度経験した。大変だったか?と聞かれれば

「大変だった。」

と答えるし、楽しかった?と聞かれれば

「楽しかった。」

答えるだろう。結局、どっちもたくさん経験してきたからね。

 

普通のお母さんより、たくさんの子どもの成長をみてきた。小学生時代の6年間、その後も付き合いがある子は、それ以上。いろんな子どもがいて、それはそれは、人間の幅を広げさせてくれる良い経験となった。自分と向き合う機会をたくさんもらったおかげで、自分の子育てにも、余裕ができ・・・た、とは言い難いか。

 

ただ、いろんな子どものいろんな行動は、ホント、興味深くて。子どもをどうにかコントロールしようと思っていた若い頃は、全然うまく関われなかったけど、自分の身体に命が宿り、自然の流れで命が産まれてくる偉大なしくみを体感してから、“あー、身体はなんでも知ってる”という想いが溢れてきた。その体験のおかげで、あらゆる場面で子どもたちに委ねていくことができるようになった。

 

そこから、どこまでも自由な保育を目指して仕事をしてきた。いつもうまく行くわけではなくて、“自由がゆえの不自由さ”にもブツかって、迷走しながら指導員仲間や子どもとともに放課後を過ごしてきた。今だって、正解なんてわからない。

 

でも、たった1つ言えることは、

 

あのときの「え!ちょっと、それ困る〜!」といった経験が、全て財産になっているってこと。子どもの、じゃないよ。私の、財産に。

 

だから、いま、何かに困っているあなたがいるなら、大丈夫。そこ、そこがちょっとがんばりどきだけど、大切なものが埋まってる。もうちょっと掘り起こしてみよ!って伝えたい。大切なものがなんなのか、なんてわからない。今、必要なものではないかもしれない。でも、ちゃんとあるんだよ。そこに。

 

いま、わが家の長男(小6)は寮付きの自由な学校に通い、次男(小2)は不登校のまま家にいる。小学生にして2人とも、人生を選択している。もうね、子どもたちの将来がどうなるかなんて、わからない。だけど、困り事のたびに自分と向き合うしかなくて。そうして、自分の本音を探すんだ。不安や迷いを丸抱えで、それでも自分を信じる、という選択を私はする。

 

自信満々なんかじゃない。積極的な選択をしよう!と言いたいわけでもない。消極的な選択の中にも、一筋の光を見る、そんなささやかな信頼を寄せていく。

 

あなたの、『困り事』という名前の『財産』は何?

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子育てカフェ、始めます。

ランチ食べながら、そんな日常を語らいましょう。

日にち:11月21日(月)

時間:11:30-14:30

参加費:3000円(+各自飲食代)

場所:カフェミールバロック(長久手市)

https://tabelog.com/aichi/A2303/A230302/23049230/

5名まで。

 

今後、おハナシ(話す・離す・放す)会での講師、やります。一名ごとに参加費3000円お支払いください。あなたの街のお話し会にお招きください。5名以上集まれば、伺います。名古屋市内か長久手市内で。働いているお母さん。土日に企画してください。

「小学生の放課後」

「学校に行きたくないと言われたら、どうするか?」

「仕事、子育ての両立」

「自分の生き方」

「夫の育て方」

このあたりのテーマで、話して、離して、放してみませんか?いつものメンバー話してるといつものグチ、いつもの価値観、いつもの方向しか見えてこないものです。いつもと違う視点や、問いの中でおハナシしましょう。

facebookで繋がっている方は、メッセンジャーから。そのほかの方は、がんばって念を送ってください。うそ。ご縁があれば。

 

『あの時、伝えておけばよかった』と後悔しないように・・・なんて、できっこない!

40才を過ぎると、お付き合いの年齢層も変わり、ちょっと前までは“命の誕生”の報告が多かったのに、今は“命の最期”の報告が増えた。

 

『あの時、言っておけばよかった』と後悔しないように、日々、目の前の人に感謝して、「愛してる」って伝えましょう。

 

っていうの。以前は、めっちゃ、そう!と思ってた。特に東北大震災後。朝の「行ってらっしゃい!」が最期になるかも知れないんだ!と思って、いろいろ心がけた時もあった。子どもが小さかったこともあり、毎日のように「生まれてきてくれて、ありがとう。」って、言いながら眠りについた。

 

そして、最近、ふと思ったんだよねえ。どんだけ毎日、愛情を伝えても、どんだけ毎日、愛情を感じる日々を送っても、やっぱりさ。大切な人が亡くなったら、やっぱり、後悔するって。もっとこうしてあげれば、あのときあーしてれば、なんてきりがない。というか、そもそも、なんで後悔ってしちゃいけない・・・?私は、できればしたくない。いや、防ぎたい。後悔しない人生を送りたい。そう確かに思ってた。ん?自分の中から湧いてくる、もう1つの声。

 

後悔すれば、いいじゃん。

 

たくさんの後悔がきっと、生きる糧になるんだよ。そうじゃなかったら、こんなに罪悪感を抱えた人が多いはずないもん。あれ?後悔や罪悪感が人を生かすエネルギーになってる?

 

私は、そうだったな。

 

過去形、いや、今もか。そういう自分を一旦、知ることで、次に進める。後悔、罪悪感、しっかり感じよ、飽きるまで。まだ、ブレーキかけて、いい子ぶってるわぁ、自由ぶってるわぁ、悟りぶってるわぁ、私。

 

かっこいいこと、いいたいもん!

 

でも、大きくなろうとすれば、するほど、小さな自分に気づく。残念な自分に出会う。そうして、後悔する。で、ま、いっか。

 

後悔してもいい。罪悪感丸出しで生きる。

 

それでも私は、愛に包まれて生きている。

 

実感があってもなくても、そうなんだから仕方ない。

 

これからだって親しい人が亡くなれば、オロオロ泣いて、もっと〜してあげればよかったと後悔するのだ。しっかり、後悔してやる!ダサく、醜く、しつこく、ね。

 

そうして、大切な人を心に留めておきたいのかも知れないな…。

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