「いまを生きる」勇気

三児の母。不登校児を連れて宮古島へ旅に出たり、大きなイベントを企画したり。その度に自分の弱さをみつける。そんな私の「成長しない」日々を綴る。

『夢みる小学校』を観て。

書きたいな、書けないな、でもやっぱり書いちゃお。

 

私は、映画「夢みる小学校」のきのくに学園の一つ、“かつやま子どもの村小中学校”卒業生の保護者です。映画撮影時期に、ちょうど息子の卒業を祝う会があり、息子の言葉も映画の中で語られています。親バカなので、毎回、そこで泣きます。

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名古屋上映が始まり、その作品に心うたれた私は、たくさんの方に観てもらいたくて、SNSから対面から、そのことについて伝えない日はないくらいの毎日を過ごしています。早くしないと上映期間が終わっちゃう!と思い宣伝してたら、延長延長で、まだ宣伝できちゃう状況💦いま、またブログを書いているという。

 

観てくれた身近なお友達から、フィードバックをもらうことも多く、また深く考える日々です。

 

よい教育だね、よい学校だね、ラッキーな子どもだね、ここへ決めた親がすごい、など、数々のお褒めの言葉をいただき、恥ずかしくもあり、誇らしくもあり。

 

それで、さらに考える。

 

自由な教育を受けた子どもたちが社会に出るとき、この社会は受け入れる準備があるのだろうか?

 

こんな風に『社会』を持ち出した瞬間に責任転嫁が始まり、問題がすり替わる。いや、違うなぁ。

 

私は好きなことをして、楽しく生きているだろうか?っこと。

 

楽しく🎶

 

なんて、簡単で薄っぺらい感じじゃなくて、んー、なんだろ?苦しくても、うまくいかなくてもいいんだけど、えー、ちゃんと自分の気持ちに素直に生きてるか?そんなことを問うてみたのです。

 

自分の気持ちに素直に生きる

 

まだまだな感じがしているけど、自由な学校へ通った子どもを持つ親として、『自分ができなかったから、子どもにしてもらおう』としないように生きる、と決めたのはいつだったか?

 

でも、学校教育で私にはできなかったことを、子どもにはしてもらいたくて、ここに出会った。あれ?矛盾してる。でも、いいや。理屈が通ってなくても。

 

私の傷に癒しが必要でここに出会った。だから、強い願いがこもっている。それは祈るような気持ちで…

 

“わが子が、たくさんの人を愛し、たくさんの人に愛される子ども時代を過ごせますように…”

 

そして、息子はこの学校で6年間過ごした。

 

でも時々思うのです。“自由な教育”の押し付けだったのかもしれない、と。ベクトルは違えど、毎日の課題を子どもにやらせる親と何も変わらないのではないか?

 

息子が卒業して2年が経つ。まだ、なんの答えもない。答えは変化するのかもしれないし、ないのかもしれないし、それでいいのかもしれないし、りんごかもしれない…🍎

 

いや、シンプルに!

何が言いたいかっていうと、ね。

 

内申点や大人の管理に縛られないで過ごす時間を「私」が息子にプレゼントしたかったから、そうした、それだけのこと。